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湶の底の秤星はずっと静かなままだから、まるでその代わりのように、僕は時折底を覗き込んで、声をかける。
「大丈夫?」「少し色、戻ってきたみたいだね」「大丈夫だよ、大丈夫」・・・等々、それはどれも大して内容のない台詞。かけてもかけなくても無意味にしか思えない台詞だと自分でも思うけど、もしかしたら僕の所為で墜ちてきて、その理由や愚痴すら言えずに湶の底で沈んでいる事しか出来ないでいるとしたら、あまりに申し訳なくて、可哀想で、たとえ意味のない台詞でも、かけずにはいられなかった。
秤星は、色を少しずつ元の白に戻しながらも、黄色を滲ませたり、桃色を滲ませたりしながら、僕のそんな無意味な台詞にもじっと耳を澄ませている。まるで、とても大事な、価値のある話を聞いているかのように。そして小さな声で時折、返事をするのだ。『はい』と。そして同じくらい小さな声で零すのだ。『ありがとうございます』と。
ありがとうございます、重ねられるその言葉に、本当にありがとうなのかな、と思ってしまうのは、本当は僕の所為なのかもしれないと思うから。だけど同じだけ、聞こえる声の柔らかな美しさに、心が和むというか、嬉しくなってしまうというか・・・、人間というのは、酷く現金なものだと何度でも思ってしまう。自分の所為かもしれないと疑っているのに、嬉しいとも思えるのだから。
藍が深い、湶の底で、夜空の藍に相応しい白さを取り戻していく秤星。次第に失われていく黄色や桃色、その何とも言えない可憐な色が見えなくなっていくことを、口にはしなくても惜しむ自分が確かにいる。乳白色だったベースの色が、混じりけのない白に変わっていく姿すらも。清廉な白が嫌いなわけじゃない。むしろ大好きだ。・・・ただ、柔らかな、何か、色々なモノを含んで纏っているような乳白色の方が、どちらかと言えば好きなだけで。それに・・・、なんとなく、秤星にはこの乳白色に黄色や桃色が混ざる方が、似合っているような気がするだけで。
夜空でも、あの色で輝いてくれればいいのに、つい、そう思ってしまう。清廉な白の輝きが夜空に上がっている姿は確かに美しいけれど、含みを持った乳白色に、時折色を滲ませながら夜空に輝く姿は、見上げる人の心を和ませると思うから。

でも、それは許されない。何かを含んだ重みを持った星は、夜空に浮かぶ事は叶わないはずだから。

一切の重さを含まない軽やかさを持てない星は、夜空で輝く資格を持てない。地に墜ちるしかない。地に墜ちて、抱えてしまった重みを湶で流すしかない。それはつまり・・・、人間みたいな重すぎる存在は、生涯夜空に近づく事は出来ない、という事か。地を這って、夜空を見上げるばかりで、星のように夜空に浮かび上がる事も出来なければ、地に墜ちる事すらない月に近づくなんて、一生出来ない。いくら月が熔けそうに甘い姿を晒しても、本当に熔け墜ちてくれる事は有り得ないのだから。
そっと見上げた夜空には、今晩も星々を傅かせ、月が誇り高い姿で浮かんでいた。母が望んだ甘い黄色ではなく、高貴な白を纏い、鋭利な、余分な重みなど全て捨て去ったと言わんばかりの細い、細い三日月の姿で。でも、細い、細い三日月の姿なのに、広大な夜空の中心で在り続ける、圧倒的な存在感を誇る姿で。
きっと月は、見上げるばかりの僕達、人間の事なんて、視界の端にも入れてくれなければ、意識の端に上らせることもないのだ。それが今、何故か唐突に分かった。分かったと、思った。でも、だから月は墜ちてこないに違いない。人間の事なんて歯牙にもかけていないから、人間の存在なんて気にもしていないから・・・、星とは、違って。

──手なんて、届かないんだ。

何故だろう? 自分でも理由は良く分からないけど・・・、嘘みたいにはっきりと、腑に落ちた。ずっと願っていた事なのに、どれだけ努力しても叶わないのだと、諦めではなく、ただ納得した。僕が生まれた時、まるでそれを祝福するかのように浮かんでいたという、甘い月。蜜のような、熔けそうな黄色い月。母が好きだった月。でも、月には何も関係なくて、見上げた人間が、ただ夢を見ただけにすぎなかったのだ。眠りにつく前に、目を開いたまま見た夢。
納得した。いや、むしろ疑問に思った。どうして今まで、手を伸ばせば届く、少なくとも近づけると思い込めていたのだろう、と。届くわけがないのに。こちらに視線の一つも向けない相手にいくら手を伸ばしたって、指先すらも届かないのに。見つめたままの月は、相変わらず清廉。複雑でみっともなくて、自分で自分をコントロールする事すら出来ない人間なんかには、到底、近づくことすら叶わないほど、高潔。
小さく、溜息。視線をもう上げていられなくて、そっと下ろす。惨めなぐらい、緩やかに。下ろした先に広がるのは湶。対岸にはお師匠様。長年、星拾いの役に付き続けている人。尊敬しているその人を見つめながら、それでもそっと呟いた。長年立派に勤めを果たしている人に対して、絶対に聞かせる気はないから、万が一にも聞かれて、星に告げ口されるわけにもいかないから、口の外には絶対に出せないけれど。

『星拾い』がやっぱり妥当なネーミングなんだろうな。『スター』じゃなくて。

地べたに墜ちたモノを拾い続けるのが、地べたを這い続ける人間には相応しい。輝く事のない人間には、本来の意味を夜空の輝きに由来する名は相応しくない。ずっと嫌だった、からかわれているかのように感じていた別名に対して、思いを新たにするような呟きを、何度も口の中で繰り返した。


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墜ちた星が落ち着きを取り戻し、元の清廉な白さをほぼ取り戻すまで約三日。でも、それですぐに夜空に還せるわけじゃない。完全に白一色に戻るまで、更に二日は湶に浸しておかなくてはいけないし、夜空に還すのも、綺麗に晴れ上がっている時じゃないと出来ないから、雨が降ってしまったり曇り空だったりすれば、翌日に持ち越さなくてはいけない。
幾つかの条件が綺麗に揃い、時期も揃わないと還せないので、平均して、墜ちてから七日くらいでようやく夜空に還せる。
それは大人しい、不満も愚痴も口にしない秤星も同じこと。静かな時間の果てに、乳白色も黄色も桃色も、一切が流され、夜空に浮かぶ他の星と同じ清廉な白に戻り、静かに時を待って・・・、夜空に還せるその日が来たのは、墜ちてから丁度七日目の夜だった。
雲一つない、晴れ渡った夜空。月が君臨し、星が傅き、全てが輝かしい夜。還るにはこれ以上ないほど相応しい夜。まるで示し合わせたかのように、風も吹かず、夜空も湶も、静けさに満ちていた。その時に、協力するかのように。ただ、あまりに静かすぎて、何か、大勢が示し合わせて聞き耳を立てている、そんな印象も抱いたけど。
・・・って、別に聞き耳立てるような事、あるわけないよな。
自分が抱いた印象を自分で不思議に思いながら、そっと零した溜息。酷く気が重いのは、別に秤星を夜空に還すのが面倒だとか、そういう意味じゃない。たとえちゃんと還せたとしても、また墜ちてきてしまうんじゃないか、それが僕の所為なんじゃないか、という不安があるからだった。原因が分かっていない以上、その可能性がとても大きい気がして・・・、あの秤星に、とても申し訳ない気がして。だから、溜息。そう、だから・・・、いや、でも本当は、他にも少しだけ理由がある。胸の片隅に、少しだけ蹲って時折顔を上げる、そんな些細な理由。
あの秤星だけは、少し長くいてくれてもいいのに。
お別れが何となく惜しくなるのは、本当にあの秤星だけ。申し訳ない気持ちはあるけど、そういう気持ちも別枠であって、だからお別れの日は少し気が重いのだ。居なくなってしまうのは惜しい、でもちゃんと還してやれないのは申し訳ない、こういうのも板挟みと言えるのだろうかと益体もない事を考えながら、いつも通り、銀の桶と柄杓を持って湶に向かった。夜空を映して輝く湶に。
カタカタと、どんなに気をつけて歩いても鳴ってしまう桶と柄杓。もう耳に馴染んでしまったその音が、今夜はやけに大きく聞こえる。嫌だな、そんな形にし辛い漠然とした感情を抱えたまま湶に到着し、淵から底を見下ろせば、すっかり元の姿、清廉な白を纏った秤星が静かに、夜空に浮かんでいる時と同じくらい静かにその場に沈んでいた。
「時間だから、ちょっと、じっとしててね」
『・・・はい』
改めて言わなくてもじっとしていてくれている秤星に、一応、念押しの一言を告げてから、桶は傍に置いて柄杓だけを持ち、そっと湶に差し込む。慎重に、慎重に底へ向けていって、微かな水の動きにすら身体を動かすことなくじっとしている秤星を、静かに、丁寧に掬った。それからゆっくりと、振動を与えないように引き上げていく。この際に、乱暴に引き上げようとすると、せっかく掬った星が振動で柄杓から零れ、また湶の底に沈んでしまうので、手付きは自然、酷く慎重なものになる。
物凄い深いわけじゃないのに、一つ一つの仕草に気をつけて行っている為、完全に秤星を湶から引き上げるまでに、それなりに時間がかかった。緊張を強いている腕は痛くなるし、手だって同じだけ痛い。でも、だからといってここで気を抜くわけにはいかない。むしろこれからが本番で、今の作業なんて準備段階に過ぎないのだから。
柄杓の中の秤星は、それまでと変わらず大人しい。僕を、僕の仕草をじっと見つめている気配を感じるけど、言葉には何もしないまま、ただ言われた通り、身動き一つしないでいる。小さな銀の柄杓の中、清廉な白の輝き。美しいと、素直に思う。夜空に還せば、またこの美しさで僕達人間の喜びになってくれるのだとも思う。手が届かないほど人から遠い月とは違う在り方で。
そっと、溜息。気づかれないように気をつけて、溜息。何度経験しても、ここからの作業は酷く緊張する。特にこの秤星が相手だと、今度こそはという気持ちが強まるから、手が震えるし、足も震える。でも、そんな緊張状態では失敗してしまうから、平常心、平常心と自分で自分に言い聞かせて、手と足の震えが収まるまで小休憩。たぶん、時間にして数分。不審な間だと思うのに、それでも秤星は何も言わず、待っていてくれる。たぶん、いつまでも待ってくれる。
・・・本当に、こんな優しい星だから、綺麗な星だから、僕に出来る事があるなら何でもしてやりたいのに。
ようやく鎮まる震え。細く、長く吐き出す息。その息に合わせて、柄杓を揺らさないように両膝を地面に着く。そうして膝立ちの体勢を取ってから、柄杓の柄と合を両手で捧げ持つ形にして真っ直ぐ腕を伸ばし、数秒、静止。目を閉じて、出来る限り頭を空っぽにする。重みを、振り払う。振り払えない重みも、一度、自分の中の隅っこの方に押しやる。
伸ばしたままの手を、真っ直ぐに伸ばした状態のままそっと下ろす。勿論、下ろす先は湶。でも、星達を沈める時の、両手で柄を持って合の部分を沈めていくのとは違う。両手で柄杓を横にする形で捧げ持ったまま、そっと湶に下ろして・・・、緊張の一瞬。振り払っても沸いてくる、不安の山。心臓の音が激しい。息が出来ない。祈るような気持ち。湶の表面に柄杓がつき、少しだけ沈む。その沈む表面を確認してから・・・、強張っている手を、一気に離し、柄杓と共に浸っていた湶からも離脱。

柄杓は、無事、浮かぶ。

僅かに沈んだ状態のまま、それ以上沈む事なく、その場で静止。けれどその状態もすぐに変わる。銀は藍を含み始め、やがて藍に滲み始める。二つの色の溶け合い。柄杓はその形を失い始め、存在を湶に溶かし、数十秒後には、完全に湶となる。本来は深い藍の湶は、柄杓が形を失った周辺のみ、銀色の煌めきを宿し・・・、その中心に凛として輝く、白い星。
くるくると、まるで周囲の水に自らを馴染ませるように回転をし始めたかと思うと、その白い星は、白に戻った秤星は、回転を続けながら・・・、ゆっくりと浮かび始める。最初は重たげに、けれど水面からその姿を現し始めると、途端に軽やかに。それはまるで、水面を優雅に浮かんでいた鳥が、空へ羽ばたく姿に似ている。鳥が羽ばたくのは青空で、星が飛び立つのが夜空であるという違いだけで。
どちらも、人には真似が出来ない、軽やかさ。
水面から完全に姿を現した秤星は、そのすぐ上で、くるくるとまだ回転している。回る動きに、滑らかだった水面は僅かに波立つ。音すらしない、静かな波。次から次へ、生まれては消えていく波の上、秤星はその回転を徐々に緩めながら、更に浮かび上がる。僕はもしもの時に備えて、再びそっと両手を差し出して、秤星と湶の間で掌を広げる。そして秤星と一定の距離を保ったままその上昇に合わせて立ち上がる。掌は、なるべく柔らかな弧を描く。稀にある、上昇の失敗が起きて、水面に叩きつけられたりしないように、受け止める時、衝撃を和らげる為に。
幸い、秤星はその後も順調に上昇する。そして立ち上がった僕が真っ直ぐ前方に手を差し伸べた状態になるころ、丁度、顔の正面辺りまで浮かんだところで、一旦停止。同時に、回転も止まったし、僕の続いていた緊張も、一段落。ここまでくれば、あとは夜空に向かって上昇し続けるだけ。この段階で上昇に失敗して墜ちる事はない。もう、大丈夫。口から自然と零れる溜息は、今度は安堵によるもの。だから隠す事すらなく、素直に零す。零れた溜息は足下に転がり、それに合わせるように、顔にも自然な笑みが浮かぶ。良かった、そんな感情を滲ませた笑みが。
「もう、大丈夫だね」
『・・・はい』
凛とした白の美しさにとは違う、か細い声。回転は止まったのに、残っている微かな震え。その様に、浮かんだはずの笑みが引っ込み、感じたはずの安堵が消え去るのを感じた。頭の片隅に押しやりまくった諸々が、一気に戻ってくる気配。気がかり、不安、疑問、震える秤星。あとは自分のペースで夜空に還ればいいだけ、でも、その場に静止している秤星。
・・・一歩、近づいたのは無意識の動き。近づける限界、湶の淵まで近づいて、詰めた距離。秤星が微かに驚く気配を感じたけれど、僕自身、言葉にならない戸惑いのようなものを感じていたけれど、それら全てを無視して、たった今まで押しやって、不遇の扱いをしていた感情が足並み揃えて口から零れる。
但し、皆が一斉に口から出ようとした所為で、一度に口に出来た言葉は酷く短くなってしまったけれど。
「僕に・・・、出来る事は、ない?」
『え・・・?』
「困っているんじゃないかなって、何か、凄く」
『あ、の・・・、』
「言って、僕に、出来る事があるなら・・・、」

──何でも、力になりたいって、

「・・・そう、ずっと思っていたから」
『みつ・・・、』
「なに?」
『み・・・、蜜夜、さん』
「・・・え?」
途切れ途切れの台詞。でも、ようやく口に出来た言葉。吐き出せた言葉の最後に酷く間の抜けた声を上げてしまったのは、秤星が口にした、たった一つの単語の所為。『蜜夜』、僕の、名前。驚きは、数秒間は意味を成さない。そしてその無意味な数秒の後に意味を成した驚きは、どうして、という疑問符を象る。
僕の名前を知っている、その事実に驚いているわけじゃない。お師匠様が呼んだりするのだから、知っている可能性は勿論ある。でも、星達にとってみれば僕はただの星拾いで、名前みたいな個を認識するようなものは記憶してないと思っていたのに・・・、それなのに、今、秤星は確かに僕の名を、僕の個を言葉にしたのだ。言葉にして、そして・・・、生まれた、一瞬の空白。
次の言葉が生まれるより、遙かに早い一拍だった。その、訪れた唐突すぎる変化は。

清廉な白が、一気に黄色がかった桃色に変わる、

途轍もない急激な変化に、疑問に思うより先に、半ば反射的に墜ちてしまう、と思った。受け止めなければ、とも思った。でもそれはどちらも唐突過ぎる感情で、身体がついていけない感情だった。だから結局思うだけで、身じろぎ一つ出来ないまま、電池の切れた機械人形のように固まって・・・いる間に、全ては静かに進んでいた。いや、動いていた。

微かな上昇、
斜め方向への下降、
近づく、
すぐ目の前、
今までで一番近い距離、

綺麗な、綺麗な・・・、白みを帯びた桃色に、微かに熔ける黄色、

近づく、近づく、近づく、
輪郭すらも失われるほどに、近づく、
距離は、限りなく、ゼロ、
もう、ゼロ、
そう、ゼロ、

──触れる、息を塞ぐ、微かな震え、

距離が、戻る、
一瞬の夢のように、
輪郭が、戻る、
一瞬の過去のように、

くるくると、再び数回、回転するけれど、纏ってしまった色は振り払えず、
傷ついた羽を抱えた鳥のように、苦しげな仕草で再び、上昇するけど、

一度、静止、
少しだけ見上げる位置、
手を伸ばせば、まだ届く距離、

『一つだけ、お願い、です。貴方にしか・・・、出来ない、お願いです』

こんなに色づいた星が、浮かんでいる現実、
こんなに重みを含んだ星が、尚も上昇していく事実、
だけど、重い、どうしようもなく、重い、
それが分かるのに・・・、いや、分かるから、


──どうか、墜ちたいと何度でも想ってしまう事を、赦してください。


震える声、
熱を含む声、
夢見るような声、


甘い、甘い、甘い、色を含んだ重い星、


もう墜ちるしかないんじゃないかと思うような姿で、それでも秤星は上昇する。まるで・・・、気恥ずかしさ故に、逃げ出すように。背中を向けて、全力でこの場所から避難するように。どんどん、どんどん、上昇していく。本来在るべき場所へ、天秤座の、自分がいるべき場所へ。あの場所で、輝く為に。
でも、分かっている、確信せずにはいられない。たとえ僕が世界で一番鈍い男だったとしても、流石に分かる。顔に上り始める、熱の強さを証明として。

間違いなく、近いうちにまた『彼女』は墜ちてくる。僕の、元に。

『コングラチュレーション!』
『ひゅーひゅー!』
『はずっ!』
『俺の秤星ちゃんがぁー!』
『誰がオマエのだよ!』
『もう結婚しちゃえよぉ!』
『おめでとう!』

・・・突如、辺りは物凄い大騒ぎに包まれた。
五割は揶揄、三割は祝福、残り二割は僻み、という割合での大騒ぎ。今までの静寂は一体何処に旅立ったのかと問いかけたくなるほどの大騒ぎに、事態が把握出来ず、一瞬、全てが頭の中から吹き飛んだ。・・・が、勿論すぐに吹き飛んだはずの諸々が、両手一杯にお土産を抱えて戻ってくる。そりゃあもう、要らんというくらい色々引き連れて。
既に赤くなっていた顔が、更に赤くなる。限界を突破するぐらいの勢いで、赤くなる。そしてそれは顔だけではなく、耳も、首筋も同様で。喉の奥は無様に震え、何も言うことが出来ず、身体は全体的に小刻みに震え、ただ、目の前に広がる湶を視界に収めるばかり。深い藍を纏い、静かに広がっていたはずの湶が・・・、沈んでいる星々の溢れんばかりの輝きで埋め尽くされている様を。
口笛が、聞こえた気がする。笑い声は、間違いなく聞こえる。嫌みのような、鼻につく笑い声ではないけれど、明らかに面白がっているその声に、言葉に出来ない絶叫が口の中を埋め尽くす。

オマエ等、勝手に聞き耳立ててるなよっ、と。

・・・というか、腹立たしいとか哀しいとか辛いとか、そういう気持ちで手一杯状態だったんじゃないのかよっ、という絶叫も同じだけ、口の中。キラキラと、あまりにも強く大量の光に、ぶつける事が出来ないそれらで口を一杯にしながら、惹きつけられる視線を振り払う事すら出来ないでいた。だって、聞こえてくる声は腹立たしいのに、全身を支配する羞恥心でその辺り一帯を転がり回りたいくらいなのに・・・、それでも目の前に広がる光景は美しすぎて。
深い、深い藍に周りの緑を映した世界に広がる、星々の輝き。清廉な白ではなくとも、如何なるモノにも負けない輝き。それはまるで──、夜空のようだった。上空にある夜空とは別の、地上に広がった夜空。星拾いが拾い集めた星で生まれた、夜空。

・・・あぁ、そっか。確かに、『スター』なのかもしれない。

眼前に広がる輝きと騒がしさに、ふと、そんな思いが胸に落ちる。つい数日前には改めて否定した事なのに、そんな理解忘れ果てたかのように、胸の奥にしっかりと落ちてしまう理解。
『スター』だなんて、何かの冗談、悪質な嫌みでしかないと思っていたのに・・・、もしかしたらそんな穿った見方をしなくても良かったのかもしれないと、あの別名を最初につけた人は、今、この目で見ているものと同じような光景を見た人だったのかもしれないと、そんな想像が頭に浮かんで・・・、そっと見上げれば、遙か彼方の頭上には、天秤座が欠けるもののない姿で輝いていた。
 たった一箇所、夜空に浮かぶには有り得ない色を含んで。
 その消えない輝きに目を奪われながら、下がらない熱に魘されながら、収まらない大騒ぎに取り囲まれながら、その時、僕は・・・、


すぐに訪れるはずの再会を、ただひたすらに想った。