short5-3

お化けは当然のように眠らない。そして一種の興奮状態だったはずの生きた人間は、いくら興奮していてもある程度の時間になれば自然と眠る。つまり、私は自由の身。・・・なわけはなかった。
畑井田が寝てから、夜の間中、無駄なチャレンジを繰り返し、分かった事は一番遠くて部屋の外、廊下を少し進んだ辺りまでしか畑井田から離れられないという事。あとは、いくらお化けでも自由に空を飛べるわけじゃないという事。生きている頃より格段身軽にはなっているけど、窓の外、続いた一階の縁から地面に向かって飛び降りることは出来なかったし、勿論、浮かぶことも出来なかった。窓やドアをすり抜けることはどうにか出来たけど、そこから先には進めない。足を踏み出しても、首輪をつけられた犬みたいに、それ以上の自由はない。身体が締めつけられる感覚が生まれるだけ。
目には見えない、これが、恋、という傍迷惑な力の効力。
思い知る力の強さに、溜息すら失って窓の外、縁に腰を下ろして見慣れているはずの、見慣れない町並みを眺めていた。夜の世界に、朝の日差しが訪れるまで、ずっと。朝の日差しが訪れて、眠りの中から多くの生き物が目覚め始め、窓の中、部屋のベッドで横になっていた畑井田が、何を思ったのか飛び起きて私を探し当てるまで、ずっと、ずっと、ずっと・・・見ていた。
私が解放されたはずの世界を。
まぁ、コイツがいなかったら完璧に解放されてたはずなんだけどね・・・悪態は、とりあえずは胸の内だった。そして切実な希望を持っての登校。正確に言うなら、登校する畑井田に引っ張られるようにして、切実な希望を抱いての登校。周りには、同じ制服を着た生徒がたらたらと歩いている。隣の友達と喋ったり、黙々と歩いたり。勿論、私の姿は見えない。べつに見てほしくもないけど。
階段を今までにない軽やかさで上がって、慣れていたはずの廊下を進み、それから畑井田が開けたドアをすり抜ける。強制的な日課として通っていたはずの教室は、少しだけ懐かしかったけど、でも数秒後には何の感傷もなくなった。それぐらい、全てがいつも通りで。
ただ、とりあえず確認した私の席には、誰も座っていなかった。当然といえば当然で、それなのに少しだけ不思議な感じもする。あの場所に、もう座らないという現実。窓際から二列目の、真ん中より少しだけ後ろが私の席。不自然な空白を感じさせる席を確認してから畑井田についていけば、そこは一番廊下側の一番後ろだった。左へ視線を流せば、私の席が見えなくもない位置。
席に座って鞄の中身を出している畑井田を放っておいて教室を見渡せば、既にいつものメンバーが揃っていて・・・でも、いつも集まってくる私の席じゃなく、二つ前の席、桃の、荒井桃子の席に集まっている。集まって・・・あまり楽しそうでもなく、何かを少しずつ呟くようにして喋っている。
もっと盛り上がるのに。いつもなら・・・。
教室内はいつも通りの喧騒が詰まっているのに、いつものメンバーはいつもよりずっと静かで、どことなく憂鬱そうにすら見える様で固まっている。偶に浮かぶ笑みは苦笑ばかりで、話が続いているのかと思うと急に途切れ、沈黙が生まれている。それが、話し声が聞こえなくてもはっきり分かった。分かって、ふと思う。それなりに親しくしていた人間が死ぬっていうのは、こういう事かと。でも、同じだけ思う。きっとあの中の誰が死んだとしても、私はあんな風にはならないだろうと。
基本的に、冷たいんだよね。だから面倒事とか、全部駄目なんだし・・・自分を客観的に見て、それだけを断じる。仕方がないことなんだと。
それから視線を戻すと、畑井田が無言で私を見つめていた。座っている畑井田から、立っている私を見上げる形。他の誰かが見たら不自然に見えるその角度を、今は誰も見咎めない。どこか心配そうな目をしている理由も、聞かない。
『意外と暗くなってるんだなって思って』
畑井田のその目の意味は、考えないでも分かった。だから軽く肩を竦めて答えてみると、眉間に皺を寄せた畑井田は、取り出したノートの端にシャープペンを滑らせる。当たり前だよ、と書かれた言葉は、ただの言葉なのにとても感情的だった。腕が、少しだけ締めつけられる感じ。縛りつけられる、力。
『・・・ってか、それより誰にするの? それ決めてもらわないと困るって言ってるじゃん』
向けてくる視線に少しだけ滲んだ、責めるような色。なんとなくバツが悪くて急いで口を開けば、出てきた言葉に感じていた気持ちは追いやられる。そう、バツの悪さなんて感じている場合じゃない。今、必要なのはそんなことじゃなくて、私の自由の確保、これだけだ。
畑井田の責めるようだった目は、途端にその色を変えた。困惑と焦りが混じったような、微妙な色。ゆっくりと動く視線は、傍に立っている私を通り越して桃や浅倉へ向かう。つられて追いかければ、座っている桃に向かって浅倉が話しかけていた。いつもの浅倉とは違う、影を刷いた雰囲気で。
良い奴らだと、真面目に思う。友人の死を悼める、良い友人だと。死を喜んでいる私には勿体無いけど、でも悼んでもらっていることはやっぱり嬉しく思う。悼ませているのを哀しく思わない自分に呆れもするけど。『ねぇ、もうどっちかに絞っちゃえば? 桃と浅倉、あの二人、マジ、良い奴だよ?』二人の人の良さに、そんな言葉が自然と零れた。心からの、本音。私みたいなある種の人でなしを好きになるより、あの二人を好きになる方がずっと良いと、間違いなく断言出来るから。
返事は、ない。振り子のようにまた視線を畑井田に向けると、畑井田はじっと桃と浅倉を見ていた。真剣に、たぶん、慎重に二人を見ていた。
どっちにするの? ・・・と聞こうとしたけど、あまりに真剣に見ているから、邪魔するのも悪くて・・・というより、邪魔して選ぶのを止められたら私が困るから、黙って選択が終わるのを待つことにした。何かの法則みたいに、一定のペースで動く視線を偶に追いかけたりもして。
授業は、そうして私が待っている間に自然と始まっていた。これも邪魔するわけにいかないから、取り敢えずは教室の後ろ、畑井田のすぐ後ろにある備え付けの棚に飛び乗るようにして腰を下ろして、ぼうっと授業を眺めて時間を潰す。やる事もないから生きていた頃より更に長く感じる授業が終わって、ほっとしている間に短い休み時間も終わってしまい、また授業が始まって、退屈さが増した時間を仕方なくまた過ごす。耐え切って齎される休み時間はあっという間で、続く授業は拷問のように長い。
そんな長い時間を、何度か繰り返した。時折、畑井田の様子を窺いながら。時折、畑井田が窺っている桃と浅倉の様子を、私も何となく、窺いながら。時間は、締まりなく伸びきっていて、誰かが切ってくれないかと願うほど、長い。願いが叶ってその長い時間を切ってもらったはずなのに、未だにずるずる続いている時間の理不尽さを考えては溜息を零す。繰り返し繰り返した時間をあと一回でも繰り返していたら、確実に教室から出て行っていたけど・・・幸いにも、その寸伝で午前の授業は終わってくれた。
鳴り響くチャイムは、仮初めの自由の音。一斉に広がるざわめきは、仮初めだと承知しているのに与えられた自由に喜びだけを抱いている。ふと見ると、朝よりは少しだけ明るい顔をしている二人の姿も見えて、少しだけほっとする。少しだけ、だけど。
「出よう」
そんなざわめきの中、紛れ込ませるようにして聞こえてきたのは畑井田の声で、お弁当が入っていると思われる巾着袋を持って立ち上がった畑井田は、すぐ傍のドアに向かって歩いていく。振り返る視線で、私がついてくるかどうかを気にしながら。
べつに気にしなくても、確認しなくてもついていくのに。ついて行きたくなくたって・・・今はまだ、離れることが出来ないんだから。

『どっちにするの?』

教室から出て、非常階段まで出て、そこでお弁当を広げて食べる畑井田に最初に聞いたのは、『いつもこんな所で食べてるの? 独りで?』だった。それに対する答えは「いつもは他の奴らと教室で食べてるけど、今日はそれだと話せないから・・・」だった。つまり私と話すためにこんな所で独り飯となっているらしい畑井田に、流石にほんの少しの気遣いとして、食べ終わるまでは黙っていた。あんまり見られていても食べ辛いかとも思って、手摺越しに見える校庭の馬鹿騒ぎを見物して、再び時間潰しまでして待った。一応、待った。
でも背後で聞こえた硬質な音に、間違いなくこれはお弁当の蓋を閉める音だと確信した後は・・・もう、待つ必要性なんて一欠けらも感じない。振り向き様、開いた口での第一声は溜めに溜めた所為か、素晴しく滑らかで端的に流れ出た。それはもう、この不景気に素敵なくらい景気良く。
畑井田は、予想通りお弁当箱を巾着の中にしまっていた。でも、紐を締めようとした手は私の問い掛けの所為で止まっている。中途半端な形に、止まっている。『ねぇ、どっち?』締めることすら出来ないでいるのを自分の目で見て、尚、追い詰めるように問い掛ける。早くしろと視線に力一杯圧力を詰めて、生きていた頃にテレビで見た、借金の取り立てみたいに、早く、早くと。
視線は、一度下に落ちた。畑井田の、視線。代わりに見えた旋毛は、なんだか突いてみたくなるくらいはっきりした形をしている。突いて、爪でも立ててみたいと思うくらい、はっきりした形。
「・・・午前中、ずっと見てて・・・沼野さんが言った通り、まぁ、良い人なのかもとは思ったけど・・・」
『けど?』
「・・・ピンとこないって言うか・・・やっぱり、たぶん、無理かなって」
『無理っ?』
「だって! 口利いたこともないし、何も知らないのにいきなり好きになれって言われても無理でしょ!」
『アンタ、私のことだって大して何も知らないのに好きになってるでしょ!』
初めて聞いた、畑井田の怒鳴り声。溜め込んでいたものが唐突に噴出したみたいなその声に、負けずに私も怒鳴り返す。怒鳴った言葉の意味を吟味することすらなく、力一杯に。
だから怒鳴った自分の声を聞いて、その内容を初めて理解する。理解して、納得する。そうなのだ、コイツは、私のことなんて何も知らない。絶対、知らない。だって仲間内の冗談で腹黒で陰湿で歪んだ性格を面白おかしく主張することはあっても、その主張を証明するような行動を取ったことなんてないんだから。所謂、本当の自分とかいうヤツは、知られたら絶対引かれると知っているから、誰にも見せたりしない。
だから誰も知らない。私のことを知っているのは、私、ただ一人。
ましてや半ば作り物と化している普段の私とすら接触がなかったんだから、私のことなんて何も知らないはず。それでも好きになったっていうなら、今日、午前中の間、ずっと見ていた女子を好きになったって全然おかしくないはず。その、はず。
何も知らない私のことを、幽霊になった私を縛りつけるくらい、好き、に・・・、

『・・・そういや、そもそもなんで私のこと好きなの? ってか、どこが好きなの?』

質問している私自身が今更だと思うような質問だった。口からするっと滑るみたいに出てきたそれは。驚いたのは、質問した私自身。そして、質問された畑井田も同じ。目を剥いて、固まっている。意外な攻撃を受けたみたいに、静止。
でも、数秒の沈黙の後、そこまで驚かれるような攻撃なのかと不思議に思った。だって、今更であるけど自然な問いだし、答えも出ている問いのはずだった。その、はず。だって好きだって答えが既にあるんだから。
畑井田は、私が自分の問いを自分で検証している間も固まっていた。馬鹿みたいに、固まっていた。その畑井田の前で手摺に凭れて立っている私は、検証にある程度満足すると・・・段々、畑井田の動きが再開されるのを待つのに飽きてきてしまって。でもそろそろ怒鳴りつけてやろうかと、そう思った頃になってようやく、畑井田の動きが再開される。繰り返される、深呼吸。それから視線が一度、足元に向けられて、何かを探すように左右に動く。
探したものは、見つからなかったのかもしれない。顔を上げた畑井田の顔には、あまり爽快な色は浮かんでなかったから。代わりに、今までにない困惑が浮かんでいる。取り返しがつかない、困惑が。
「改めてそう聞かれると・・・はっきり答えられないんだけど・・・」
『は?』
「きっかけとかも・・・たぶん、ないし・・・ただ、なんとなくいいなーって思ってたって言うか・・・」
『・・・いいなぁって、それだけ?』
「それだけって聞かれると、アレなんだけど・・・」
酷く言い辛そうに続けられる言葉に、自分の声の中に批難の色が混じるのを抑えることは出来なかった。する気も、なかったし。
べつに、その程度の気持ちなのかと批難したいわけじゃない。批難はしたいけど、そういう理由じゃなくて・・・今、問題なのは、その程度の気持ちなら、どうして私がこんなにも縛られてしまっているのかということで。
もしかしてお化けって、皆、生きてる奴に縛られてるの? ・・・つい、想像してしまう。ちょっといいなーくらいの気持ちならそれこそありふれていて、そんなありふれた気持ち程度で生きている人間に囚われてしまうなら、幽霊は皆、不自由ってことになってしまう。でも、そうは思えない。この質感のない身に実際の感覚として感じる思いの強さは、そんな曖昧なありふれた力じゃない。それは感じている私が分かっていることで。
『ねぇ、その程度の気持ちだったら、こんなに私が縛られるわけないと思うんだけど?』
だから、確信的疑惑をはっきり込めた声で問いかける。絶対、いいなーくらいじゃないだろう、と。すると畑井田は、浮かべていた困惑をもう限界というぐらい強めて、視線を私の後ろに向ける。さっきまで私が仕方なく、見ていた先。特に見るべきものなんてあるわけないのに。
「・・・たぶん、いいなーって思うのに凄いはっきりした理由はなくて・・・ちょっとした理由とかを見つけることは出来ると思うんだけど、それって本当の理由じゃないって言うか・・・探した理由って言うか・・・。でも、ぼんやりした感じの気持ちだったけど、沼野さんが死んじゃって、どうしてぼんやりしたままにしてたんだろうって思ったら、今まで見てた沼野さんのことが全部思い出せて・・・いいなーって思ってただけだったけど、本当は凄く、凄く好きだったんじゃないかなって思って・・・」
だから俺としては、自覚がなかった感情が、沼野さんと会えなくなって初めて自覚されたっていうか、覚醒したんじゃないかなって思ってるんだけど・・・等々、畑井田の話は要領悪く続く。小さな気持ちが気づかないうちに大きくなってたって言うか、それが凄くさり気なく積もってたから気づけなかったって言うか・・・等々。半分以上、自分の世界に入っているかのような台詞が延々と。
段々とその話を聞き流しながら、少しだけ視線をずらして自分の身体に意識を集中させると、感じるのは決して放すまいという意志に似た力。いや、意志そのものである力。死んで、少ししていきなり巻きついてきた、力。
・・・ってか、これ、八割方、後悔って感情なんじゃないの?
聞き流す前の話と、聞き流しながらも少しだけ聞いている話を統合すると、そんな結論しか出てこなかった。特に理由もきっかけもなくいいなーと思っていた程度の好意、死んでから突然強くなった想い。それならそれは、少しいいなーと思っていた相手ともう話すことも出来ない、そのことに対する後悔ってだけじゃなんじゃないかと。失われたからこそ惜しくなる、そんな頑是無い我が侭と同じ。もしそうだとするなら・・・納得、出来る気がした。なくなったからこそ惜しくなる、そういう感情なら、私の理解の範囲内だったから。
ある種の納得と理解を持って戻した視線の先では、畑井田が俯きがちにまだ何かを言っていた。微妙に赤い顔をして。どうも自分の感情を語るのが気恥ずかしいらしいけど、正直、男の赤い顔なんて漫画や小説の中以外、気持ちが悪いとしか思えない。
『あのさ・・・』
「はっ、はい!」
掛けた声には、まるで軍隊みたいな返事があった。軍隊、見たことないけど。溜息を、一つ。それから、もう一つ。『思ったんだけど・・・』転がる溜息を見送って話すのは、私の中で出た結論と納得。話している間に少しずつ引いていく畑井田の頬の赤みにほっとして、でも少しだけ残念にも思う。やっぱり、面倒でも好かれているという事実は、少しだけ嬉しいものらしい。他人からの好意に対するこの感情も、厄介なものかもしれない。全部切り捨てられたら、もっと気持ち的にもすっきりするのに。
大して長くもない私の持論。持論、というかすでに完全なる結論でしかないそれを、畑井田は赤みの引いた顔で静かに聞いていた。話し終わった後には少しだけ考え込むような顔になっていて、返事もなく黙る。静寂の、十数秒。再開は、もう結論が出ている私から。
『まぁ、とにかく、アンタが私のこと好きっていうのは、死んじゃった人間に対する後悔の所為で一時的に気持ちが強くなってるだけだと思うんだよね。だからさっさと次を見つけるか、潔く私のこと忘れるかしてくれない? そうじゃないと、いつまで経っても自由になれないし・・・大体、何回も言うけど私もう死んでるんだからさ、一緒にいても、何も意味ないじゃん』
「話くらいは、出来るけど・・・」
『しなくてもいいでしょ、そんなもの』
ようやく開いた口が発した言葉をばっさり切れば、また、沈黙が生まれる。考え込んでいる、沈黙。考え込む理由なんて、もうないのに。結論は、出たのに。「・・・でも、本当の本当に成仏しちゃうかもしれないんじゃない?」さっきより短い沈黙の果てに向けられた問いの意味が、さっぱり分からなかった。吃驚しすぎて黙ると、驚きを察したらしい畑井田が、また口を開く。
「だって今の沼野さんは、俺の感情で縛られてここにいるってことでしょ? それなら、もし俺からその気持ちがなくなっちゃったら・・・本当に成仏しちゃうかもしれないんじゃないかなって思って。違うのかな?」
『いや、知らないけど・・・でも初めっから成仏するって言ってるじゃん。つーか、成仏したらなんか拙いの?』
「拙いかどうかは分かんないけど・・・でも成仏したら、本当に、本当に死んじゃうってことなんじゃないの? 本当に、本当にこの世界からいなくなっちゃうってことなんじゃないの? それでもいいの?」
『何がいけないの?』
「えっ?」
『綺麗さっぱり、何もかもなくなるなら、それでいいじゃない。自分にとって一番重くてどうしようもないものが、ようやくなくなって綺麗になるって思えば、べつにそれはそれでいいでしょ?』
「綺麗に、なる・・・」
畑井田の言葉の意味が、全く分からないわけじゃなかった。言いたい事は、訴えたい事は分かっている。でも、それを敢えて分からない振りをしたのは、その態度で畑井田の言葉を全否定したのは、多少の誇張を混じえた、嘘偽りない本音を告げるためだった。
本音・・・そう、本音だ。間違いのない、本音。たとえ間違っていても、私としては本音のつもりの本音
痛くて怖くて苦しい死に方をしたくないと切実に思っていたけど、死んで面倒事から全部解放されたいと思っていたのは本当だし、他人から解放されたいとも思っていた。でもそれは、極論を言えば、他人から干渉されるのに捨てることが出来ない自分という存在から、解放されたいという結論になってしまうことを・・・たぶん、私は知っていた。
そういう気持ちを、他の人間が哀れむことがあることも、たぶん、知っていて。
馬鹿みたい。結論を読み上げるように、決定的にそう思う。だから分かっていることを分からないみたいな態度で、少しだけ胸を張って自信を形にして、答えたのだ。馬鹿みたい。本当に、馬鹿みたい。私は性格が悪くて根性が芸術的な角度で曲っていて、結構姑息でおまけに実は小心者だけど、私の考えが正しいってことだけは自信がある。私の考えを哀れむ他人が馬鹿だってことだけは、確信している。ただ、生きている間にそれを主張すると、また面倒なことに巻き込まれるから、口にしなかっただけで。自信を、隠していただけで。口を、閉ざしていただけで。
でも、死んだ。もう、死んだ。やっと、死ねた。とうとう、死ねた。
だから限りない自信を漲らせて言い切った私を、畑井田はそれこそ本当に馬鹿みたいに口を開いたまま、呆然と見上げていた。小さな子供みたいに目を見開いて、どこかで見たことがある表情で。
べつに、そのまま放置しておいても良かったかも知れない。むしろ、勝手に人を縛った意趣返しとして、放置しているべきだったのかもしれない。でも間の抜けた顔をずっと眺めているような、変質的な趣味は生きている間も死んでからもなかったし、かといって校庭なんていつまでも眺めていても暇なだけで。だから聞こえてきた緩い高音を、右から左に貫通させているらしい畑井田の耳に、もう一度押し込んでやった。
『チャイム!』
「へぇっ?」
『チャイム鳴ってるって言ってるの! 早く教室戻らないと、授業始まるって』
「あっ!」
もう弁当箱なんてしまってあって、あとは立ち上がって教室に戻るだけなのに、畑井田は無駄なほど慌てた仕種で周りを見渡す。まるで漫画のようなその仕種に、私の方こそ漫画のような溜息が零れそうだった。何してるんだか。もたもた、もたもたと・・・こっちはどつくことも、股間に爪先めり込ますことも出来ないのに。
『は、や、くっ、しろ!』
「はいっ!」
思わず、手足の代わりに素敵なぐらいドスの篭った声で蹴り飛ばしてしまった。吃驚するくらい低い声は、充分、脅しになったらしく、畑井田は小さく飛び上がりながら返事をする。敬礼でもしそうなくらい、はっきりと。それからドアに向かって激突寸前の力で駆け寄ると、弁当箱をぶつけんばかりの勢いでドアを開け、校舎内に駆け込んで。
教室に向かって廊下を走る畑井田の後ろ、のんびり歩こうとする度に感じる力に、小さく洩れる舌打ち。「沼野さん?」速度を落として振り返り、顰めた声でかけられた呼びかけ。周りに、他の生徒はいない。皆、もう教室に戻ってしまったのか、それとも今から戻ってくるのか。
『・・・早くしてよ』
「あっ、うん。急ぐけど・・・」
『そっちじゃない。早く・・・私のこと放せって言ってんの』
「あー・・・そっち?」
『当たり前でしょ。アンタが授業に遅れようと、それで怒られようと基本、私には関係ないし』
「まぁ・・・そう、だけど・・・」
どことなく、間が抜けた返事。蹴りたいけど蹴れないから、我慢、我慢。止まった歩みを再開させながらちらちらと窺ってくる畑井田は、気の所為かもしれないけど、気の所為、だろうけど・・・何となく、嬉しそうで。
見間違い。勘違い。思い違い。他には、ない。再び前を向いて歩く畑井田。その後ろの、私。教室には、きっと桃や浅倉がいる。好きという感情に相応しい、善良な二人が。どちらでもいい。二人の顔を思い浮かべて・・・ふと、思い出す。面倒な全てから解放されたいと願っていた、生きていた頃のこと。もし幽霊という存在があるなら、全てから解放された後、独りぼっちで死を謳歌したいと小さな願いを抱えていたことを。
もう、我が侭言わないから。
誰かに訴えるように、胸のどこかで呟く。我が侭言わないから、一番の願いが叶うなら、二番も三番も要らないから、と。干渉してくる他者からの解放を。他者に干渉されるしかない自分という存在からの解放を。・・・とりあえず、この、訳分からん奴からの解放を。
一瞬だけ、振り返る畑井田。何故か、その畑井田の顔は・・・やっぱり笑っているように見えた。

**********

『・・・で?』
「あー・・・」
『あー・・・、じゃなくって。ねぇ、マジ、呪っていい?』
「えっ! それはちょっと止めてほしいんだけど!」
『じゃあ、アンタもいい加減にしてよ!』
怒鳴りつけるのは、いつかと同じように、目の前で正座させている馬鹿男に向かってだった。ちなみに、場所も同じ、馬鹿男の部屋。正座して私の前に座っている馬鹿と、その前に立っている私。ちなみに、仁王立ちしてる。突き上げてくる怒りが、ただ立っているだけでは許してくれない。
・・・で、ちなみのちなみに。あれ以来、私は何度か物凄く暇な夜を経験させられている。つまりコイツから解放されないまま、数日経っているということ。どうして私がこんな目に、という思いは、既に何度か爆発している。残念なことに、原因に直接ぶつけることが出来ないが。ぶつけられないという現実が、いっそう怒りを増長させていたが。
『アンタは私に何日こんな暇で意味ない時間過ごさせるつもり? 早く他の人間好きになるか、私のことを綺麗さっぱり忘れるかしろって、何回言ったらそのつるっつるの脳味噌で理解出来るのっ?』
「つるっつるって・・・」
『あぁんっ?』
「すみません・・・」
つるつるした脳味噌の持ち主の不服そうな声に、生意気だと言わんばかりに睨みつければ、大袈裟に肩を跳ねさせて謝ってくる。悪いと思っているわけじゃなくて、怒りを買いたくないからとりあえず謝るという、謝罪。よく、テレビで大手企業の偉そうな奴らがやっているみたいな、謝罪。
怒りが治まるまでの場当たり的な対策の一環として目を逸らしている畑井田の、とてつもなく腹立たしい顔を眺めながら・・・一度だけ、深呼吸。腹を立ててもぶつけることが出来ないなら、立てるだけ無駄。それよりは冷静になって、何か策を練るべきだということぐらい分かっていて。
少しだけ沸騰していた血を鎮めて、改めて振り返る数日間。どれも代わり映えがしない日々は、何の成果も上がってないけど、何の努力もしてなかったわけじゃないことは、傍で見ていた私も知っている。傍で見ていた・・・というか、傍に無理やり留められていただけだけど。何度か離れられないかチャレンジして、その度に思いっきり締めつけられていただけだけど。
歯軋りせんばかりの私の顔色を伺いながら、畑井田はそれでも一応の努力はしていた。勿論、何か物凄い具体的な行動を取ろうとしていたわけじゃない。そうじゃないけど、あの二人のうち、どちらかに少しでも好意を持てるように、常に二人に注目して、意識して、好感が持てる箇所を丁寧に一つずつ、拾っていた。話しかけるきっかけでも出来るように、体育の時も実習の時も、席が固定じゃない授業の時は二人の傍にいるようにしていた。間違ってでも、話しかけられるようにと。
ただ残念ながら二人と話す機会はなくて、きっかけも掴めなくて、だからたぶん、二人は畑井田のことなんて意識の端にも引っ掛けてないだろう。生きていた頃の、私みたいに。でも、それはまぁ、仕方ない。畑井田が話しかけられなかったのを、腰抜け、と批難したい気持ちがなくもないけど、そういう度胸や勇気は私も持ち合わせてないから、流石にその辺りのことは口に出して罵倒したりはしてないし、するつもりもない。
あの二人にしたって、べつに意識させなきゃいけないわけじゃないし・・・目的は、本当の目的の為の目的は、畑井田が他の誰かを好きになることなんだから、つまりは畑井田だけの問題なわけで。つまりのつまりは、畑井田だけで解決するはずの問題なわけで。それなのに・・・。
『何が不満なわけ?』
「不満があるわけじゃないんだけど・・・」
『じゃあ何? なんで私はいつまで経ってもすっこしも解放されないわけっ?』
怒鳴りつけると、畑井田は沈黙以外を知らないみたいに黙り込む。私の顔色を窺う、上目遣い。なんて言えばいいのだろうかと考えている様に、余計に腹が立つ。他にも色々、腹は立っているけど。『不満がないなら、二人のうち、どっちか一人ぐらいちょっといいなーって思えばいいでしょ? なんでそれぐらいのことが出来ないの?』黙っている畑井田に、殆ど畳み掛けるように問い掛けると、畑井田は逸らしていた目を床に向けて、何か重大な発見でも見守るように視点を一箇所に固定する。それから軽く唇を噛み締め、眉間に皺を寄せ、数秒の沈黙の後、噛み締めていた唇を酷くゆっくり開いていく。「不満は・・・ない、けど・・・そういう、問題じゃなくて・・・」開いた唇から零れてくる声は、躓きがちに小さい。でも小さいのに、聞き逃すことが出来ないくらい、妙にはっきりしている。
「たぶん、無理。嫌いとかじゃないけど、好きにはなれないと思う。俺・・・」

好きな人、いるから。

「だから、無理。好きな人がいるのに無理やり他の人、好きにはなれないと思う。・・・えっと・・・つまり、ですね・・・」
『・・・一応、確認』
「はい」
『好きな人って、誰?』
「あー・・・それは・・・ですね・・・」
誤魔化しようもないほどはっきり耳に入ってきた言葉の途中で挟んだ自分の声が、とても、とても低くなっていることには当然、気づいていた。でも、取り繕う気なんて一欠けらもない。もし取り繕う必要があるとするなら、それは私じゃなくて畑井田の方だった。少なくとも畑井田自身はそのことに気づいているらしく、俯いたままでいる。
勿論、そんな姑息な態度で誤魔化されるほど、私は甘い性格をしていない。甘いのは、自分に対してのみ。自分の利益もないのに他人に甘くすることは絶対にない。
『おいっ!』
「はいっ!」
腹の底から迸らせた声に、畑井田が正座のまま床から飛び上がるという、器用で作画的な行動を取る。生きていた頃だったら、笑っていたかもしれない。・・・けど、今は笑えない。笑える、わけがない。でも人間、あまりに腹が立つと顔が半分くらい笑ったみたいな形になるようで。
目だけが、本気の殺意めいたものを滲ませていた。それは畑井田の顔色を見れば分かる。引き攣った表情、色が少々白くなった顔。今にも逃げ出しそうなほど、身体は緊張感に満ちている。・・・のに、何故か生意気にも、畑井田は正座をしたその場所に踏み止まっている。土下座でもしそうな空気を纏っているのに、一向に逃げ出さない。力一杯、その場に居続ける。今までなら、すぐに謝るような奴なのに。
まるで今は踏み止まらなくてはいけないと自分に言い聞かせるように、踏み止まっている。
『アンタ・・・この数日間のやり取りと今現在の状況、一つも頭に入ってないわけ?』
何を踏み止まっているのかなんて、知らない。べつに、知りたくもない。ただ、歯軋りせんばかりの怒りだけが、口の端から零れていく。呪い殺すぞ、みたいな思いがだだ洩れになって。洩れているそれらを、勿論、畑井田は正確にキャッチしていたらしい。いっそう顔色を失くしながら、首を左右に何度も激しく振り回す。頭に入っているという、主張。辛うじて入っているものまで出るんじゃないかと疑うほど、激しい振り方。
「頭には入ってるんだけど・・・だって、なんか、言ったかもしれないけど、全然知らない女子を好きになるなんて出来ないし・・・理由も、ないし・・・おまけに好きな人がまだいるのに、相手を変えるなんて出来ないって言うか・・・」
頭を振り回すのを止めた畑井田は、ぐずぐずと何かを言っている。益体もないことを、ぐずぐずと。聞こえてくるその台詞に、一気に沸騰していく感情。勿論、畑井田のじゃなくて、私の、感情。顔はまだ、笑顔の残像を覚えている。畑井田はまだ、ぐずぐず何かを言っている。その口を止めることすら、今の私には出来ない。
初めて、だった。まだたった数日。それでもその数日の間で、初めての経験だった。死んだことを、多少なりとも悔やむなんて。生きていたかったわけじゃない。でも、今、目の前でぐずぐず言っている馬鹿の口を閉ざすことも出来ない無力さが、とてつもなく歯痒くて。まさか幽霊がここまで無力なものだったなんて、物凄い想定外だ。
無力な、私。だから意識的に深呼吸を繰り返す。無力な私が今持てるものは、冷静さ以外に有り得ないから。だから慎重に深呼吸を繰り返して、冷静さを呼び戻して。最初の一言めから、冷静さの中に圧力を感じさせる、そんな声を絶対に出そうと誓って・・・、

『ざっけんなっ! この馬鹿!』

・・・出来なかった。深呼吸の意味も全くなかった。怒鳴りつけた相手は、その瞬間、盛大に仰け反ってからすぐに戻って来る。そのまま仰け反りきって、床にめり込んでしまえばよかったのに。めり込ませてしまえたら、よかったのに。でもそれが出来ない私は、ついでに冷静にもなれない私は、ただ力一杯怒鳴り散らす。物理的な力のないものを、撒き散らす。
『私を好きになるのだって大した理由がなかったしっ、私のことだって何にも知らなかったでしょ! だったら知らない他の女子、好きになったってべつにいいんだっつーの! なにっ? その、無理に決ってるじゃん的な言い訳は!』
「あのっ・・・、言い訳じゃないし、沼野さんの言っていることも良く分かるし、その通りだとも思うんだけど・・・」
『けどっ、なに!』
おどおどした口調での、言い訳にしか聞こえない台詞。でも畑井田はまた突然黙り、数秒間だけ沈黙を生む。生まれたその沈黙の間だけ、彷徨う視線。蹴散らしてやりたいと思うそれは、意外なほどすぐに戻って来る。迷っていた間に・・・まるで余分なものを全て振り捨ててきたみたいに、酷くスッキリした視線に生まれ変わって。
戻って来た視線と同じように、向けられる表情もスッキリしたものに変わっていることに気づいたのは、開かれていく唇の動きを認識した後だった。
「沼野さんのこと・・・何も知らないで何となく好きになって・・・たぶん、何も話せないで死んじゃったこと、凄く後悔してて・・・今、思うと、死んじゃったから好きだって強く思ったのかもしれなくて・・・それって勘違いみたいなものだったのかなとも思うんだけど・・・」
『みたいな、じゃなくて完全な勘違いでしょ!』
「うん、たぶん。でも・・・なんか、今は違う感じ」
『・・・は?』
スッキリしていた顔が、今度は皮膚の下から新しい表情を生む。生まれてきた表情に、背筋を駆け抜けたのは間違いのない悪寒。そして、予感。更に、確信。部屋の四隅からスポットライトでも当てられたみたいなその表情は・・・満面の、笑顔。
他の全てを排斥する、自分の感情以外の一切を許容しないもの。笑顔という表情にはそんな力があると、私は、知っていた。知って、いた。
「何にも知らなかったけど・・・この何日かで、色々、知ったし、なんか、分かったこともあったし・・・思ったんだけど、こういう風に誰かの素の姿を知ることって、普通、ないって言うか・・・うん、だから・・・なんか、こう、意外と攻撃的なとことか、ある意味潔いとことか、悲観的で破滅的っぽいのに、全然、そういう考えに対して暗くないとことか・・・そういうところ、変にスッキリしちゃったっていうか・・・」

つまり、なんか・・・いいなぁって、思っちゃったわけでして。

「えーっと・・・アレだ、もうちょっとさっくり言うとですね・・・惚れ直しちゃった、みたいな?」
・・・激しく光り輝いた、無駄に明るい笑顔が、幻でも何でもなく、強烈にそこに実在していた。なんか、もう、俺最強、みたいな確信的な力で、立ち塞がっていた。意識が、少しだけ遠退く。気の所為か、世界が遠い。気の所為じゃなく、身体が痛い。巻きついた思いが、力でもって締め上げてくる。痛い。込み上げてくる不快感が酷い。湧き上がってくる怒りが熱い。
だけど、強すぎるものは並び立てない。出口は一つしかないんだから。結果として、現れたのは酷く平坦な声だった。機械音みたいに、ざらついた。
『・・・何回も言うけど、私はもう死んでて、話すことしか出来ないんだから、諦めてくれる?』
我ながら、素敵なくらい固く、冷たい声。偶に、姉貴だか妹だかに同じような声を出していたことを思い出す。この声を聞くと、例外なく黙って私の視界に入らない場所に退避してたっけ。だから、たぶん、今回もそれを心のどこかで期待していた。でもはっきり言えば、期待は裏切られるためにある。それ以外に、存在の価値はない。
畑井田の笑顔は、一欠けらも欠けない。欠けることを止めた、傲慢な月のように。
「いいんだ、俺、もうお化けでもいい気がしてきてるし。それに俺、たぶん純愛の人だから、顔を見て話が出来れば、それだけで満足出来ると思うし・・・」
『知るか!』
「あー・・・、なんか、それなりに怖いんだけど、このやり取りがちょっと癖になるって言うか・・・」
傲慢なムーンスマイルを浮かべた畑井田は、鳥肌が立つようなことを、鳥肌が立つような恍惚とした眼差しで洩らす。警察に引き渡していい類の人間だと決定的に知ったけれど、残念ながら、この身は警察に認識してもらえない状態。唯一、認識しているのが目の前のかなりおかしい奴なんだから、なんか、色々救いが見えない。
見えない、けど求めないわけにはいかない。だって面倒な人生っていうものが終わったのに、厄介な命ってものを手放せたのに、どうしてこんな目に遭わなきゃいけない? 終わったんだから、全部チャラにしたっていいはずなのに。
『・・・あのね? アンタ、都合よく大事な事、放置してるみたいだけど・・・いい? 良く聞けよ? アンタが私のことどう思うと、私はアンタのこと好きでもなんでもないの! それなのに一方的な感情でこうやって縛りつけられたら超迷惑だって言ってんのが分かんないわけっ?』
渾身の罵声は、内容も相俟って絶対に利くと思った。思って、いた。それなのに畑井田ときたら、つい数分前まで私の表情一つにすら肩を震わせて反応していたのが嘘みたいに、全く動じない。・・・というより、変な反応を見せる。
異様な自信に満ちた、真っ直ぐな目。誰にも見たことのないその強さを、狂信的と評しても間違いではないはず。それぐらい、強く、強く・・・、

この世の全てを面倒だと投げ捨てる私には、圧倒的すぎるほどの強さ。

「迷惑かけてるのは分かるけど、理性なんて後付けの力じゃ、感情って原始の力には立ち向かえないって感じ?」
朗らかに上がる、笑い声。妙に洒落た物言いに、うっかり次の言葉を失ったのは、この数分間のやり取りで、最大の失策。取り戻すのは、激しく難しい。いつだって、なんだってそういうもの。そういう、もの。
気づいた時に取り戻せるものなら、そもそも失ったりしないのだ。つまり失うなら全部、最後まで失ってしまうというだけで・・・、あぁ、そうか、生きてた時からそうだったけど、つまりは、そういうこと。
あぁ、なんて最悪!

「あの、それで俺、ちょっと考えたんだけど・・・、俺が他の女子を好きになる努力って、たぶん、かなり無駄な努力で・・・そんなことするぐらいなら、沼野さんが俺を好きになる努力をした方が早いっていうか・・・健全な気がするんだよね。ってか、俺も沼野さんに好かれる努力ならもっと出来ると思うし! だから・・・」

今からでも遅くないから、俺のこと、好きにならない?

「俺、純愛の人だし!」
異様に晴れやかな声には、一点の曇りもなく。分からないわけにはいかなかった。もう、気づかないわけにはいかなかった。コイツには・・・私の言葉を受付ける気が全くないのだと。私のことを知ったからだと言っているくせに、一欠けらも、受付けないのだと。
最悪だ、最悪! ついさっき気づいてしまった最悪なことを、改めて知る。気づいた時に取り戻せるものなら、初めから失ったりしない。取り戻せないから、失うわけで。でもって、それはつまり・・・逆からも言えることで。
終わって捨てられることなら、初めから捨てられることだったわけで。捨てられなかったものってことは・・・終わっても、捨てられないものだったわけで。いや、そもそもが・・・今、ここに意識があるということは、終わってなかったことなのかもしれなくて? つまり、つまり・・・、

死んでも尚、人生は続いている?

・・・ってことは、つまりのつまり、上手くはいかないってこと? 面倒事から、解放されないってこと? ・・・あー、ホント、最悪! マジ、最悪っ!

「思うだけで、幸せって言うか・・・」
『思うだけじゃなくて、強制的に縛りつけてんだろっ、この馬鹿!』

恍惚としている目には、もう、現実が映らない。自分の世界に入っている耳には、私の声は届かない。好きだって言っている相手の声すら、聞きゃしない。こんな最悪で面倒なこと、他にはないってくらい面倒なのに・・・これなら死なない方が、まだマシだった? んなこと言っても、手遅れなのに!取り返しなんて、つかないのに!


もうっ、やっぱりオマエも死んじまえ!