「マジで・・・言ってるんだよね? それ」
「それって、なに?」
「俺が何を言ってたのか分からないって感じのとこ。ってか、俺達がどういう意味で手紙のやり取り続けてるかっての」
「だから分からないって言ってんじゃん」
「そうじゃなくって! 今の、俺のっ、聞いても分からないのかってこと!」
「オマエの要領得ない話で何が分かるっての。分かることなんて、一つもないよ」
真面目なのは分かるけど、分かるのはそれくらいなんだって・・・と続けたら、途端にラルドが固まった。また、固まった。目の前で再発した硬直に、正直今後こそ本当に投げ出そうかと決意的に思った。思った、けど・・・数秒間詰められた息が物理的な重みを持って吐き出されたから、それだけは踏み止まってやる。あと一回同じ静止画を見せられたら、絶対帰ろうと心に決めて。
ラルドは、硬直を解いて息を吐き出した後、何度か瞬きをした。信じがたいものを信じる為に、確認するように。対象が俺自身なのを感じながらも、待つこと更に数秒。それから開かれた口は、気の所為じゃなければまだ戦慄いていた。吐き出される声は、強硬な白い光の国の住人に相応しいほど、力強く明朗なのに。
「・・・つまり、物凄く直接的な表現を使うとさ・・・うん、アレだ、俺たち、お互いのこと・・・好きに、なっちゃったってわけなんだけど・・・」
「それ、初めに聞いた。燗爛が気に入って、手紙を送ったんでしょ?」
「いやっ、今はそっちの話じゃなくてっ、樺音のことが・・・好き、だって話で、樺音も、俺を好きになってくれたって話でっ!」
「便利ってこと? 気を遣わないってこと? それとも・・・結構気に入ってるってこと?」
「は? ちょっと、っていうか大分ニュアンスが違うって言うか、最初の方とか全然違うって言うか!・・・なんか、それじゃあ物を気に入ったって感じになっちゃうって!」
「違うの?」
「違うよ! 何回も言うけどっ、俺が好きになったのは・・・」
「樺音でしょ?」
「そう!」
「同じじゃん」
「・・・え?」
「同じでしょ? 何が違うの?」
何も違わないじゃん、そう続けた途端、ラルドは鋭く息を飲んだ。見たことも聞いたこともないほど鋭利な刃物が身体に刺さったような顔をして、吸った息を吐けないでいる。ちょっと前に見たのと同じ、静止画。でも、徐々に頬に差していた赤みが消え、それどころか蒼褪めていく様に、流石に心に決めていた誓いを実行できない。そこまで人でなしにはなれない。
ラルドは、固まっている。俺は、自分の発言を反芻している。でも、いまいち分からない。なんでラルドがこんなにも驚いているのか、何を主張しようとしていたのか。何故同じことを何度も繰り返して、指摘するたびに違うと主張していたのか。
樺音を気に入った、好きになったという事と、燗爛を気に入った、好きになったという事の、何がどう、違うのか? 違わない。違いなんて、存在しない。
「ラルド?」待ちきれなかったわけじゃない。ただ、際限なく青くなっていく顔色が気になって、だから声を掛けた。大丈夫かと、暗にその問いを滲ませて。
ラルドは、すぐには反応を示さなかった。・・・というより、青くなっていく顔色以外の動きがなかった。でもそろそろ死ぬんじゃないかと、そこまで思い始めた頃、ようやく微かな反応を見せる。浅い呼吸の繰り返し。両の掌を開けたかと思えば握り締め、そうかと思えばまた開く、そんな無意味を繰り返して、やがて上を見上げているわけでもないのに、眇めた目で俺を見つめてくる。悪意のある、感情じゃない。ただ、酷く疑わしげな、信じがたいものを目の当たりにしているような、そんな、目。
「あの、さ・・・ちょっと、俺としては信じらんない感じで・・・でも、よく考えたら彩は『たそがれ』の人だから、もしかしたら俺とは色々違うのかもとか思い始めたりしてるし・・・もしかしてって感じなんだけど・・・」
「なんなの?」
「いやっ、ちょっと、確認したいって言うか・・・もし、もし、だよ? 普通に知ってるってことだったとしても、べつに、馬鹿にしてるわけじゃないから怒らないでほしいんだけど・・・聞いて、いい?」
馬鹿っぽいラルドにしては、回りくどくも慎重な言葉。いちいち俺の反応を窺うようなその様が、少しだけ癇に障ったけど、緑色の瞳の奥にある色が真剣なままだったから、一応、我慢する。
絡んだ視線だけで、無言を守る態度だけで先を促した。心のどこかで薄っすらと、どうして質問していたはずなのに質問を受ける側になっているのだろう、なんてそろそろ諦めている疑問を滲ませたりもして。
「あのな? あの・・・」早くしろ、喉元までせり上がっている罵倒に近いそれを飲み込んで、更に促すその先。ラルドは、態度と同じくらい躊躇いがちな口調と視線で、とうとう問いを口にする。
──『恋』って、知ってる?
「俺・・・ってか、俺たち、お互いに恋してるんだ。会ったことないけど、何回も、何回も手紙を送り合ってるうちに、自然と生まれたんだ、そういう、想いが。俺達の好きって、つまりそういう、好き、なんだけど・・・知って、る?」
俺達の好きの形。『恋』って、知ってる? 知ってる、よね?・・・ラルドは、問う。俺は、黙る。黙って、聞き慣れない単語を繰り返し、聞く。そしてそのうちに、胸の奥で何かが蟠るのを、蟠っていた何かが込み上げてくるのを感じた。
分からない、形。無理やり飲まされた、得体の知れない固形物。知らないはずの、でも覚えのある、そんな気がする、形、形、形。
耳の奥、反響する形を、気がつけば真面目に追いかけていた。何かに急き立てられて、追いかけていた。追いかけて、手を伸ばして、その間、ラルドがまた何かを言っている気がしたけれど、右から左に出て行くものを追いかける気にはならなかったので、耳の奥の音だけを探していて。
探していた音を見つけたのは、たぶん、体感しているよりはずっと早い時間。思い出す、忘れかけていたもの。忘れかけていたのに、こうして覚えているもの。身体の奥底、埋めていた問いと、笑み。放たれたまま回収されず、答えも与えられていないもの。
──『コイ』って単語、知ってる?
はっきりと思い出す。覚えていたことを、思い出す。ラルドが向けてきた問いと同じ、単語。知っているかどうかを、知らないと承知の上で向けていた。笑う、口元。窓際の、問い。差し込む赤い闇に阻まれる、瞳。眼差しの存在だけが、やけに鮮明。
鮮明なものは、時としてその鮮明さゆえに焼きつき、焼きついたが故にそれを当然の姿として留める。疑問の、余地すらなく。だから今の今まで焼きついて、忘れ切れずにいたけれど。『コイ』、そう、『コイ』だった。確かに、それだった。
リアが、笑っていた。
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──リアは、笑っていた。
「ってか、彩、アンタもしかして、今日はそのまま手ぶらで戻って来ちゃったの?」
喉で押し殺すように笑っていたリアは、ふいに我に返ったような鮮明な声で、そう問い掛けてくる。でも、笑われて多少なりとも機嫌を損ねている俺としては、言葉を作ってまで答える気にはならない。辛うじて首を横に傾ける程度の、返事。
リアには、それで充分だったらしい。今度は苦笑めいた笑みを浮かべて軽く肩を竦め「ラルドの手紙、預かり忘れたんでしょ?」と、真剣に忘れ去っていた存在を突きつけてくる。・・・忘れていた。話題は終始その手紙に関わっていたはずなのに、リアの指摘どおり、手ぶらで戻ってきた。戻って、きてしまった。
・・・よっぽど混乱していたらしい。それは俺だけじゃなくて、きっとラルドも。混乱を極めた俺が発した「帰る」の一言に、特に追い縋るわけでもなく「気をつけて」とか何とか返事をしていたのを、混乱していたわりにはしっかり覚えている。つまり、引き止めるのを忘れる程度には、ラルドも混乱していたわけだ。つまりは、つまりは・・・悪いのは俺だけじゃないということで。
「・・・ってか、呼び止めろって感じなんだけど。用があるのはあっちなんだからさ」
「まぁ、そういう言い分も、通らなくはないかもね。だからって、アンタが綺麗さっぱり当初の目的を忘れていた事実が消えるわけでもないんだけど」
「・・・煩いな、分かってるよ。もう一回行けばいいんでしょ。どうせまだ、停泊中だし」
「そうだね。でも明後日までには行かないとね。三日間だけなんだから」
三日間だけの、停泊。『たそがれ』に三日間だけ繋がる『太陽』。もっと小さい頃、三日間も停泊していることを不思議に思ったことがあったなと、ふと思い出す。まさかその『太陽』に、犯罪を犯したわけでもないのに乗り込むなんて夢にも思っていなかった頃のこと。でも実際にこういう状態になって、何となく、思う。もしかしたらこうして受け取り損ねたものを、もう一度受け取りに行く為なのかもしれない、と。
明日、行こう・・・浮かび上がる決断は、あの上から降り注ぐ白に似ていた。決定的な、あの光に。真っ直ぐ降ってくる光、記憶にしては鮮明すぎる白に、青すぎる空と、その青を映した緑が浮かぶ。最初の、緑。
一切の濁りを放棄した、満面の笑み。
浮かんだ笑みに困惑の色が滲んだのは、最後の緑。思い出した途端、洩れた問い。「ねぇ、リア」視線を向けた先のリアは、笑っていた。やっぱり、笑っていた。窓から差し込む赤い闇に、笑う口元以外を覆った姿で。
「結局、さ・・・なんなの?」
「なにが?」
間髪入れずに返る声は、口元と同じ笑みの形を作っていた。上位にいる者の、余裕の笑み。問い返す必要なんてないのに、態と返される。よぎる苛立ち、完全に目の前を通り過ぎるまで我慢したのは、その先にあるはずの答えをどうしても知りたいと願うから。
知りたいと、知りたい、と。
「『コイ』って、なに?」