long8-1

──謡われる物語。

幼い頃に聴いた 物語の国では、『夜』は『訪れる』もので、やがては『明ける』ものだという。光に満ちた空が緩やかに『たそがれ』を迎え、隣に在る姿すら曖昧になるほどの、鮮やかな赤き闇色で塗りつくされる一瞬の後、深き藍色に全ての空が染めつくされる。
散らばる無数の『星』と、日々形を変える『月』の他、一つとして光の齎されない闇。
けれど闇は、『夜』は永遠ではない。圧倒的な沈黙と静寂にも、やがて一筋の光が差し込み、世界は白一色の『かわたれ』に埋もれ、再び隣の存在を無くす。そしてその後に、目映くも清々しい光の下、全てを取り戻す『朝』を迎える。
物語は、そう謡っていた。
幾度も、幾度も謡われた。幾度も、幾度も思い出した。寝物語、夢物語、笑うことも出来ぬ話を、幾度でも。約束どおり繰り返される、『夜』と『朝』。二つを繋ぐ、『たそがれ』と『かわたれ』。
全てが一つの国あるという、物語。

──この『夜』は、決して『明けない』のに。

「やっぱり、ここにいたんだ」
振り返れば、いつの間に来ていたのか、燗爛に灯した燈を手に佇む少女らしき姿がある。手にした燈は足元だけを照らし、顔は見せない。自分の考えに埋もれていた身としては、声で判別することも出来ず。
国の全てである闇に溶かした戸惑いは、冷たく澄んだ空気によって伝わったらしい。そっと掲げられた手、照らされるその顔は、一番親しい友のもの。どうして気づかなかったのか、その思いに戸惑うほど親しい少女。
悪戯めいた輝きを瞳に浮かべ、苦笑に似た笑みを口元に刻んだ彼女は、止めていた足を交互に差し出し、隣に並ぶ。『月』が訪れぬ、この『岬』へ。
「・・・どうか、したの?」
今日は訪れない『月』。つまりこの『岬』へ用がある者なんているわけがなく、それなのに今こうして隣に並ぶ存在に、静かな疑問が浮かぶ。『月』の来訪を問わずに好き好んでこの場所に来るのは自分ぐらいだと、区切りなく繰り返される日々の中で教えられている。誰にも会わないという、経験として。
彼女は『月』が訪れる日にすら、ここに訪れたことはない。だからこそ浮かんだ疑問をそのまま差し出せば、彼女は真っ直ぐに顔を前へ・・・『月』が訪れない先へ向けて、目を細める。
晒された、横顔。長い睫毛、形の良い鼻、細く白い首、年より大人びた容姿。ずっと前から知っていた彼女の外見が、少しずつ気になりだしたのは、羨ましいと思い始めたのは、こうして『月』を待つようになってから。外見なんて、照らされる日を夢見ない限り気にしないでいられたのに、今は・・・今は、気になって仕方がない。
気にして満足のいく姿になったとしても、何も報われないかもしれないのに。
「・・・ねぇ」
「なに?」
「今度から・・・私もここに来ようかなって思うんだけど・・・」
「・・・え?」
「いい? 来ても」
前を向いたまま、彼女は躊躇いがちにそう問い掛けてくる。見えないものを見ようとして眇めていた瞳を、顔を俯けながらそっと伏せて。まるで、何かを悼むような仕種。
静かな、横顔。瞳を覆う薄い瞼。その瞼に滲む色に、気づかないわけがない。これほど美しい白さではないけれど・・・それは自分の瞼にも滲んでいる色。今、見えているのは、今の自分の姿と同じもの。同じ、想い。

──またひとり、届かない『月』を待つ者が。

「・・・べつに私に聞かなくてもいいでしょ、そんなこと。私の家でも何でもないんだから・・・来たければ、来ればいいじゃない」
「・・・うん、そう、なんだけど・・・一応、言っておこうかなって思って」
小さな、笑い声が零れた。小さな、小さな、か細い笑い声が。顔を俯けたまま零される声に、痛みを感じたのは胸と瞳。彼女は私よりずっと要領が良いから、今まで何でも出来た。だからきっとどうにもならない事態なんて初めての彼女にとっては、どうにもならないことなんて当たり前のようにあって、それはそれとして得られたものを喜べる私より、ずっと苦しくて痛いことなのかもしれない。そんな風に感じさせる、声だった。
でもその苦しさも痛みも、抱えるしかない。想いを、捨て切れないのならば。抱えて、そして待つしかないのだ。『月』が訪れるのを、訪れた『月』から齎される、この国にはない『朝』の欠片を。待つしかない。それだけしか、ない。

──この、永遠の『夜』の淵で。