long7-5

「・・・土壇、作らなきゃ」

何かが零れるように、言葉が零れた。零れた言葉は力を振り絞って、捕まれたままだった指を振り払い、囚われていた手首へ自由を取り戻す。・・・たぶん、取り戻す。そして身体は反転し、ドアに向かって動き出す。動きながら頭の隅で、また繰り返すの?という、何処か意地の悪そうな声が聞こえた気がした。
これも、『たぶん』だけど。「ねぇ・・・」後ろでまた、声がした。繰り返しだった。でも、否、だからこそ振り返らない。次の声が聞こえる前に小屋を出て、そのまま隣のもっと小さな小屋に向かう。大切な、仕事道具一式がしまってある場所へ。
取り出す、大切な、とても大切な仕事道具。生き甲斐の為の、道具。取り出した道具一式を眺めてから、まずは一つ、深呼吸。自分の中に詰まっていた諸々をかき集めて、放り出して、踏みつけて。
それから・・・、「まっずは土を運びましょ」節をつけて口ずさめば、身体は自然といつものリズムを思い出す。道具が入った袋を担ぎ、両手で土運び用の台車の握りを掴めば、もう、心は『ダン』という名を持った、職人だった。
土は自室にしている小屋の裏手。その辺りを掘り返して積んである土を台車に積んで、なかなかの重量のそれを死刑場まで運ぶ。回数は四回ほど。運び続ければその辺りの土がなくなりそうなものだけど、そんな事にはならない。なんせ、刑が終われば土を運び戻すのだ。
不浄な土、とされている土は、一回ごとに戻される事を望まれている。だから、同じ土が行き来しているだけ。無駄な事をしているけど、それは私にとっても必要な事だから、黙って運ぶ。そして運び終わったら、まずは死刑場の地面を平らに均してから、風向きのチェック。その後でいよいよ、壇の形成。
分かってない人間は、大して難しい作業だとは思わないらしいけど、完璧な壇は、素人では絶対に作れない物だ。なんせ、土だけで長方形の壇を作るのだ。水を混ぜるわけでもなく、ただ、土を盛って、何度も叩いて、均して、また盛って、叩いて、均してを繰り返す。しかも形を気にかけながら、少しずつ、少しずつ。
死刑囚の首をちょっきんする為の物なのだから、少しでも頑丈に叩いて、叩いて。それでも崩されてしまう可能性を頭の中から追い出して、少しずつ、少しずつ作り上げていく壇。これより素晴らしい芸術作品がこの世にあるとは思えないのに、自分以外誰もそう思っていないという現実に少しだけ首を傾けながら、少しずつ、少しずつ。
「盛るよ、盛るよ、盛っちゃうよ」
盛り続けるうちに、自然と歌は流れ出す。気分も高揚し始め、壇は完璧さを増し、そして・・・、高さも増していく。死刑執行準備をする為に近づいてきたアイツ等が、いつも通りこちらを一瞥して、毎度おなじみの舌打ちをするのが視界の端に映り込んだけど、勿論、気にしない。
高すぎるんだよ、あんなに高くすることないのに・・・、等々、口にされている非難が聞こえないわけでもないけど、それも無視。だって、高すぎる、なんて事はないのだから。これは、私にとっては必要な高さ。だから、その高さを得る為に・・・、『盛り続けている』のだ。
あと数回叩いて固めれば終わるという段階になって、ふと空を仰げば、そこにはまだ青い空が広がっていた。死刑執行はいつになるのだろうと、そんな事をぼんやり思いながら最後のひと叩きを終え、視線を再びアイツ等の元へ向けると、そこには────、いつの間に連れてこられていたのか、七三一号が突っ立っていた。アイツ等に、両腕を捕まれた状態で。
夕日じゃなくて、青空の下に転がるのか、突っ立っている七三一号の顔を眺めながら、結論を察した。作業が終わった事を察したアイツ等に連れられてゆっくりと近づいてくる七三一号は、とても嬉しげに、楽しげに笑う。目を細め、細まった瞳を輝かせて、私を見る。
とても、今から地面に転がり落ちるとは思えない輝き。今まで見たことはないけれど、きっとそれは、『とても大切なモノを見る、幸せな』輝き。きらきら、きらきら。
・・・あぁ、そうか。
何か、圧倒的な勢いで腑に落ちた。転がり落ちて転がってしまうくらいの勢いで、腑に落ちまくった。なんだ、そうだったのか、と。そのタイミングに合わせたみたいに、目の前に立つ集団。嫌そうな眼差しでこちらを見たアイツ等は、『ダン』が作った傑作の前に七三一号を立たせると、一旦、その場から少しだけ離れる。
もしも死刑囚が暴れれば銃殺出来るように、もう少し離れた場所には銃を構えた奴等。そこまでして離れるのは、死刑の前の罪状確認だか何だかの儀式っぽいものがあるからだ。今更なのに、その離れた場所で罪状が読み上げられる。しかも、やたらでかい声で。
悔い改めよ、という事らしいけど、改める機会もなく死ぬ事が決定している人間に対して、何を無駄で馬鹿な事を、と思う。だからいつもそれを聞きながら、胸の内で嗤っているけれど、今はそれどころでもなく。早くオマエも退け、そんな視線が方々から突き刺さるのも完全に無視して、四歩程度しか離れてない七三一号を見る。
視界の端には、自慢の『土壇』も。
「お願い、宜しくね」明るい声が、とても腹立たしく聞こえた。まるで、気分の悪い日に見上げる青空みたいに。・・・だから、たぶん、本当に正真正銘の、意地悪だった。意地悪な意図で発せられた、台詞だった。
「ねぇ、アンタ、もしかして・・・、『────』?」
七三一号は、その瞬間、初めて見る表情を浮かべた。目を限界まで見開いた、驚きの表情。呼吸すら止まったその表情は、しかしたった数秒で崩れ、割れた表情の下から現れたのは同じく崩れた笑顔。
「あはははっは!」甲高い笑い声が辺り一帯に響き渡り、それまで響き渡っていたはずの無意味な声がざわめきで止まる。無音になったわけじゃない。ざわめきが、ただ無意味さを凌駕しただけ。そして、そのざわめきの中、確かに聞こえた台詞。笑い声の滲んだ声。
「・・・本当に、一緒にいたいなぁって思ったんだよ。死んでもいいから、一緒にいたいなぁって。初めて、見た時からね」
駆け寄ってくるアイツ等。暴れているわけでもないのに取り押さえられる七三一号。睨みつけてくるアイツ等の視線を無視して、取り押さえられながらも私を見てくる笑顔のままの七三一号の笑みを目に焼き付けてから・・・、背を向けて、歩き出す。少しだけ、離れた場所へ。振り返ったりはしない。その、間に・・・、

『ちょっきん』

いつもなら聞こえる人が暴れる音だとか、物音だとか、断末魔の悲鳴とかは一切聞こえなかった。ただ、ちょっきんする音だけが聞こえて、それから「完了」の号令みたいな声が聞こえて、それを合図に振り返れば、『ダン』の傑作土壇の上に、ころりと一つ、転がる首が見えた。
そのすぐ側に転がされた首のない身体と、顔を歪めて転がっている首を回収するアイツ等の姿も。
持ち上げられた首は、誰が見てもはっきり分かるぐらい・・・、直前の笑みの形をそのまま残し、首が転がっていた土壇は、首がかつて吐いた言葉通り、最小限の荒れ意外なく、ほぼ、作った時のままの美しい状態を残していた。

────首は、見せしめとして晒される。身体は、不要なモノとしてその場に残され、『ダン』が焼却場へ運ぶ。

勿論、土壇も片付ける。一人での作業だけど、一応、見届けるという義務がある為、アイツ等も残ってはいる。・・・が、よほどその場にいるのが不本意なのか、たった数人の立ち会い人達は、あの無意味な行動と同じように、離れた場所に立って嫌そうに待っている。殆ど、視線すら寄越さずに。
だからこそ、簡単だった。盛りに盛った土壇の影に隠れてしまえば、もう、簡単すぎるほど簡単。道具袋の中から必要な道具を取り出して、さっくり、ざっくり。それから台車を持ってきて、土壇にしていた土を崩して入れる。不思議な事に、自分で崩すぶんには腹が立たない。スコップで削って、台車に乗せて、乗せて、乗せて・・・、周囲の視線を確認しながら、『ソレ』も乗せて、上からまた土を乗せて。
往復は、五回ほど。首なしの身体の分だけ多くなる。その身体を最後に焼却炉に突っ込むと、ようやく終わったか、という雰囲気を強調した奴等がとっとと消え失せた。いなくなった奴等に清々しつつ、道具をいつも通り片付けて、それから・・・、見渡す周囲に、人はいない。
しっかり確認した後、足を向けるのは自室の小屋・・・、ではなく、再び焼却炉・・・、の近くの、土の山。自室の小屋の裏手、ついさっきまで、土を運び戻していた場所。戻ってきたその場でもう一度、周囲を確認。それから、ようやく・・・、
土の中に隠していた、私の新しい『お人形』を取り出した。

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新しい『お人形』────左手首を右手に、少し前に手に入れた『お人形』────右手首を左手に持って眺めながら、口から勝手に零れる溜息を聞いていた。頭の中では、七三一号のあの台詞がエンドレスで流れている。
「キミになら、俺も、『コレクション』に加えてほしいなって」笑顔とともに、流れている。右手に持った、コレクション。七三一号の願い通り、加えたもの。加えて、並べて見る二つ。七三一号と、七二七号。
否・・・、『江刺家』母子。
「七二七号の罪状が息子のガールフレンド皆殺しって、どんだけ子離れ出来てない母親なんだっつーの。ってか、皆殺しが出来るほどガールフレンドいるって、おかしくない?どんだけ女ったらしだよ。つーか・・・」
零れる愚痴は、止まらない。頭に残っている二つの調書がぐるぐるしている。突っ込みの入れどころ満載というか、突っ込みの入れどころしかないというか。問題点満載というか、問題点しかないというか。・・・ただ、本当は、本当の本当は、たった一つだけが大問題だった。それ、だけが。

「────本当の問題は、あれだな・・・、これが結局、ラブストーリーなのか、マザコン息子の気持ちが悪い話なのかって事なんだよね」

最後のあの、大笑いの後の台詞が、私に対してだったのか、それともこの、コレクションに加わっている右手首に対してだったのか、それが分からない。一緒にいたいと思ったのは、死んでもいいから一緒にいたいと願っていたのは、果たしてどちらだったのか?
あの笑顔は、鮮明に焼き付いて私の中に残ってしまっている笑顔は、誰に向けたものだったのか?分からないことだらけのまま、とりあえずの現状では、七三一号の願いは叶っているわけだけど。
じっと見つめる二つのコレクション。ここ数年分、冷凍保存してあるコレクションの中ではダントツトップで美しい女の右手首はお気に入りで、新しく手に入れたコレクションはたぶん、今までの私の人生の中で一番思い入れがあるもので・・・、だけど、それでも・・・。
「なんだろう・・・、なんとなくムカツクから、捨てちゃおうかな?」
人形達は答えないし、応えない。いつものように、応えさせる事もない。だから・・・、決断も出来ない。どちらを捨てるべきか、両方捨てるべきか。それとも、やっぱり両方とも、残しておくべきか。決断は出来ない、でも、とりあえずこれだけは・・・、言っておきたい。この、左手首に。

「私の初恋返せっての」

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『ねぇ、アナタ、どうしてそんなに淋しそうな目をしているの?』
「マダム、僕のこの淋しさの理由を聞いて下さるのですか?」

──そこは、狭く、薄暗い、真四角の小屋の中。寒さと、暗さと、淋しさだけを詰め込んだ箱のようなその中で、声色を変えて一人二役を演じている演者に、声をかける者はいない。何故なら、演じられている物語を見ているのは、覗き見ている自分だけで、唯一の観客である自分といえば、掛ける声も持たずにただ、見惚れているだけだったから。
『彼女』は、とても美しかった。とても、とても美しかった。目に焼きついている『彼女』の姿以上に、美しかった。とても、とても美しかった。

『だから、一緒にいたいと願ったのです』