言う必要なんて全くないのに、それでも言いたくなる人間心理というものに、茶木は不思議を感じずにはいられなかった。
「だから、次の選択は阿倍さんの隣なんだよ」
俺、やれば出来る子なんだよなー・・・と、無駄に胸を張って茶木が不正を告白したのは、たとえ告白しても茶月が糾弾するほど頭が固い人間ではないと知っていたのと、あまりに希望通りに進んだ事態に、それを誰かに自慢したくてしかたがなかったからだった。
だから帰りがけ、階段を正面玄関に向かう為に下りる間、周りに人がいないことを確認してから、耐え切れずに茶木は喋ってしまった。選択授業からの、一連の出来事を。
玄関に着いて、靴を履き替え、校舎の外に出る頃には説明は終わり、あとはもう、ひたすら自慢するばかりだった。自分の手腕を、運の良さを。あまりに話に夢中になっていて、なかなか進まない茶木の歩み。校舎を出てから止まり、数段だけの階段を下りてまた止まっては自慢する。凄いだろう、と。
すると茶月から返ってくるのは「はいはい、凄い凄い」という、心の全く篭ってないお褒めの言葉で。
それでも、茶木の腹は立たない。今は、最高潮に舞い上がっているから。だから実はまともに茶月の返事も聞いていなかったのだが、流石に付き合いが長いだけあって、茶月も特には怒らない。
ただ・・・校舎の前、立ち止まった状態のまま、誰かを連想させる真っ直ぐな眼差しが茶木に注がれる。ふざけた意図を一欠けらも持たない、眼差しと同じく真っ直ぐな問いが。
「って言うか、つまり・・・」
好きになったってこと? 阿倍さんのこと。
「だから隣になりたいってこと?」
淡々とした声。やっぱり茶月と黒河は似ているなと改めて思いながら開いた茶木の口は、考える暇すら与えず勝手に答えを差し出していた。「・・・分かんない」と。
・・・そう、茶木にはまだ、分からなかった。分からなかったが、聞きたかった。どうしても、聞いてみたかった。席が隣になれて、あの瞳を見つけたら・・・『どうしたの?』と、どうしても、どうしても聞いてみたかった。
聞いてみたかったが、それを口にするのは茶木にとって気恥ずかしいことだったから。
だから真面目な顔をして立ち止まっている茶月に、動きを再開させながら笑いかける。笑いかけ、冗談めかした声と口調で告げてみる。
「分からないけど、なんか、胸に花が咲いた感じ?」
両手を胸に当て、軽く目を閉じてお祈りのポーズをしてから、すぐに目を開け、少しだけ首を傾けて。茶木が告げたのは、茶月が口にした『好き』のイメージを、拙い詩心で表現したもの。
つまり、『恋』というもののイメージ。茶木がしたことがない、たぶん、まだしていない、全然具体的ではないそれの、イメージ。
そんな漠然としたものを表現したその行為に、茶月は真面目な表情を崩し、呆れたような目を向ける。それから態とらしい溜息をつき、歩き出した茶木に合わせて歩きながら、それこそ天を仰ぐように僅かに上を向く。向いて、何故か数秒、停止。
でもすぐに上向いた顔を元に戻し、また真っ直ぐな眼差しを茶木に向けて、よく通る声で意外なことを言った。さっき仰いだ先で、何かを見つけたかのように。
「咲いたんじゃないだろ。そんな物凄い目つきしている女子見て、花なんて可愛いもん咲くかよ」
「あー・・・まぁ、そうだけどぉー・・・イメージ的にさぁ・・・」
「何がイメージだよ。お前の話聞かされてる俺のイメージは、そんな可愛らしいイメージじゃないっての。むしろ・・・」
──何か、物凄い兇器で刻まれてるイメージだっての。
「刺し殺すような目つきなんだろ? その目つきで、思いっきり何かの感情を刻み込まれてるイメージ」
「・・・刻む、ねぇ」
茶木の中に浮かんでくる、あの瞳。攻撃性だけで構成された、あの瞳。その瞳に茶月が口にした『刻む』というイメージを重ね合わせれば、確かにその二つは何の違和感もなく重なり合う。
「刻む、か」
そうかもしれないと呟きながら、茶木は改めて納得する。納得して、手の内側にある胸を、その中を思う。刻まれてしまっている、胸を。どうしてもと、そう思ってしまう感情を。
つまり、これは傷なのか。
納得して、だからこそ茶木はゆっくりと手を離す。傷口にいつまでも触っていてもしかたがないから。それに傷の理由とはもうすぐ近づけることが決っていて、この傷をどうするかはそれから決めれば良いことだったから。
訪れることが約束されたその時を、今はただ、思い描く。
「・・・まずは自己紹介から始める」
茶木自身いきなりだと思えるそれに、茶月は首を傾げるだけで先を促してくる。当然、その意思表示に従って茶木は続きを語った。
「茶木勇志です。チャキって呼んでねって、お願いから始めるんだ」
何故か声音はお茶目モード。すると茶月は、その目に浮かべていた呆れを更に強める。
「それ、言った途端に睨まれるんじゃねーの」
確実に有り得る予想。想像する、茶月の言葉が実現した場合の現実を。あの鋭い目が、力が、茶木自身に向かって放たれる瞬間を。
「・・・ちょっと、ゾクゾクするかも。恋は病、みたいな」
「・・・それは恋がどうとかじゃなくて、普通に病気だ」
疲れた声なのに容赦のない言葉が聞こえてきて、茶木は思わず笑ってしまった。でも、笑いながらも・・・その時、確かに感じていた。予感のようなものを。それも、不思議なくらいの強さで、感じていた。
──その病気は、治らない。
そんな、予感。でも・・・何故か茶木は、その予感を茶月に言うことが、どうしても出来なかった。