long6-20

小さな囲いの中、並んでいる全てに役割を振るのは神様の役目。

──だけど、神様の役目を振るのは・・・、

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時間の進み方は一定ではない・・・そんなどこかで聞いたような気がしている言葉の正しさを茶木が実感したのは、初めてだった。
「あー・・・長かった」
「死ぬの?」
「んなわけねーだろっ!」
しみじみと実感を滲ませての茶木の言葉に、隣から入る茶々はかなり辛辣で容赦がなかった。あっさりとした口調なので余計に薄情な雰囲気が満ちていて、茶木は思わず全力で突っ込みを入れてしまう。しかし手加減なく騒いでしまった為、辺り一帯に響き渡った声に、我が事ながら茶木は一瞬後には恥かしくなる。
おまけにそれが、周りに同じように登校中の生徒が歩いている朝の爽やかな空気の中でのことなのだから、日中、休み時間に騒ぐより更に恥かしい。「・・・オマエの所為で、全力で恥かしい感じになっただろ」顔に上る微かな血の気配に、茶木が少しだけ俯いて訴えれば、返ってくるのはやはり涼しさを感じさせる声。
「なんか、人生の終焉でも迎えるっぽい声してたから、今日が命日なのかと思って」
「・・・オマエ、偶に酷いよな」
「偶に? 結構いつもだと思うけど」
「・・・自分で言うか? そういう事」
あまりにあっさり吐かれるそれに、茶木からはもう強い抗議をする気も失せてしまった。たとえ言ったとしても、無駄なのが目に見えていたから。しかし全く何の反論もしないのは完敗したかのようで癪に障るので、茶木はこれみよがしに大きな溜息を吐き出してみたけれど・・・茶月は当然のようにその溜息には何の反応もせず、茶木の口からは更に大きな溜息が洩れそうになる。今度は、態とでもなんでもなく、物凄く素直な溜息が。
偶になんでコイツとこんなに長々友達やってるのか、自分でも分からなくなるよな・・・等と茶木は心にもない悪態を胸の内で零しつつ、繰り返しの当然の帰結として目の前に現れた塀とその先の建物を見つめる。いつもは今日も一日面倒だなと、そんな感想しかないそれらに、茶木の心は妙に弾む。理由は、考えるまでもない。
「今日なんだっけ? 席替え」
「分かってるなら初めから察しろよ」
「察してたけど、あまりに鬱陶しく浮かれてたから、死んじゃえばって思ってさ」
「・・・あのさ、頼むからもうちょっとオブラートに包んで物を言っていただけないでしょうか?」
「だって、マジ、ウザイ」
視線すら向けずに察しの良さと冷たさを披露した茶月は、足を止めることなく正面玄関に向かう。勿論、隣に並んで歩く茶木も同じように向かうが、茶木には心なしか茶月が早歩きになっている気がして仕方がない。まるで、茶木から離れたがっているかのように。
確かにウザイのかも・・・気を抜くと距離が開いてしまう茶月について行きながら、密かに茶木は自分の行動を振り返る。朝、待ち合わせ場所で顔を合わせて以来ずっと浮かれていて、それをはっきり言動に表わしていた。これでは確かに茶月が鬱陶しく感じても仕方がないだろう。ただ茶木としては、いくら鬱陶しくてもここまでざっくり批難しないでほしかったのだが。
それでも歩き続ければいつも通り正面玄関に辿り着くし、流れで歩けば下駄箱まで辿り着くし、惰性で上履きを引っ張り出して履き替えれば、同じく惰性で階段に向かっているし、階段に向かえば当然上って、教室まで迷う理由すら探せずに足は動く。つまりはこれが、日常という力。
「一限目、だったよね?」普段は意識しない力を茶木が実感していると、ふいに茶月の淡々とした声が、主語のない問いを確認の色合いで向けてくる。聞き返さなくとも省略された主語が分かっていたので、茶木が迷わず頷けば、丁度そこでお互いの教室への分かれ道へと差し掛かる。道、というか地点、というか。
一瞬、立ち止まったのはお互いへの礼儀なのかもしれないし、ただ単に方向を修正するためなのかもしれないし、さもなければ修正ではなくて習性なのかもしれないし。一体この停止が選択肢のうちどれに当たるのか、二人揃って特に考えないまま、合わせた目線。身体は既に互いの教室へ向けて反対方向を目指しているので、首だけを少々強引にお互いへ向けているだけ。その状態で、いつもなら軽く声を掛けて終わりだった。じゃーな、もしくは、またな、等の独り言に近い挨拶。それなのに、茶月はその時・・・視線が絡んでいる目を、少しだけ細めて。
笑った、のだ。少しだけの、笑み。まるで、何かに期待するかのような笑み。
茶月?・・・と、巨大な疑問符つきで掛けようとした茶木の声は、流れるように自然に離れていった視線によって形に出来なかった。何も声を発することなく、ゆっくりと離れていく茶月の背。すぐに教室に消えていく、背。
見えなくなったのに、何故か印象的に残っているその背を、茶木は不思議に思う。あの、向けられた笑みと共に。どうして茶月は、あのタイミングで笑ったのか。どうしてあんな笑い方をしたのか。茶月があそこまではっきりと笑うような話なんて、していなかったのに。
期待、されるようなことなんて、もっとないのに。
「・・・なんだろ、あれ」零す呟きは、洩らした本人である茶木ですら間が抜けているように感じるものだった。ひとり、廊下で立ち尽くしていれば、余計に。だからこそ零した呟きを踏みつけて、なかったことにしてから茶木は自分の教室に向かったのだが、席に着いてからも頭の片隅では、その意味を、理由を探してしまうくらいには気になっていて。
しかしやがて隣に現れた姿に、茶木の頭の片隅での動きは放棄される。もっと気に掛かっていることが連鎖的に思い出されて、もう、それどころではなくなってしまったから。「おはよう」自主的な挨拶が、他の動きの放棄の合図。
「おはよう」
席に着きながら、普通に返される挨拶。見れば、今日も黒河稔は昨日と全く変わりない様子でそこにいた。たぶん、明日も全く変わりない姿でいるだろうと確信出来るくらいの恒久性を漂わせて、そこに座っていた。
その姿に、連想的に茶木が思い出すのは三つの単語。選択、席替え、阿倍。思い出した途端、止める間もなく自分の表情が緩むのが茶木自身よく分かったし、黒河が少しだけレンズの奥の目を細めたのも分かった。「なに?」と、緩んだ表情を向けている茶木に向かって、当然の問いが声と眼差しで向けられると、出たがっていたらしい言葉は、茶木の承諾も得ずに勝手に飛び出る。
「いや・・・実はさ、一限、選択じゃん? ウチ、席替えなんだよ」
緩んでいた茶木の表情が、はっきりとした笑みの形に変わる。楽しくて仕方がない、嬉しくて仕方がない、という形に。「どこの席になるのかなーって思ってたら、ちょっと、楽しくなってきちゃってさ」本音ではない言葉が茶木から流れるように垂れる。その垂れた言葉を聞かされて、黒河が何を思ったのかは茶木には分からない。席替え程度でここまで楽しくなれるのを、呆れているのかそれとも納得してくれたのか。
ただ、お互いもうすぐやってくる担任の朝の日課の出席確認を待ちながらも、選択授業の準備として教科書等を準備して・・・その間、手元へ向かって落としていた視線を茶木がようやく上げた時、偶々同じように顔を上げた黒河と目が合う。
真っ黒な、その、目。
「席につけぇー」間の抜けた声を響かせながら担任が教室に入ってきて、それを理由に前を向いてとりあえずの真面目な態度を取り繕ったが、その態度の下で、茶木の中でどうしてもちらつくのは先ほどほんの一瞬、再会した黒河の目。そしてその黒い瞳の中にあった、ある種の予感にも似た直感。
気の所為、なのかもしれない。そう、思わなくもない。理由が、ないから。でも・・・同じだけ気の所為なんかじゃないと、強く否定する部分が茶木の中にある。何故なら勘違いする理由も同じだけ、ないから。
──笑ってたような気がする。
茶木には覚えにある、笑み。黒い瞳の中に、その覚えにある笑みが確かにあった気がして。・・・何故か、茶月が先ほど浮かべていた笑みに似ている、気がして。担任の声は、茶木の耳を雑音のように通り過ぎる。視線は向けないが、隣の存在が気になって仕方がない。どうして、笑った? どうして、笑っているように見えた?
気の所為で済ませてしまえばいい。一番簡単で無難な解決方法。分かっていたので、雑音しか作らない教師が出て行っても、茶木は問い掛けることをしなかった。用意した教科書一式を抱えて立ち上がっても、同じく立ち上がった黒河に改めて向き直っても、先ほど見た気がする笑みに対しては、何も。
代わりに「もう行く?」なんて、行き先が一緒でもないのに茶木は声を掛けて、教室を共に出る際も、何も、何も言わなかった。言わなかったが・・・お互いの目指す教室へ向かう分かれ道、茶月と別れた時と同じように離れていく、間際。簡単な、無意味でしかない挨拶の後、翻される背。その、直前。
確かに、笑っていた気がして仕方がなかった。

やっぱり・・・茶月に、似てた気がする。