long5-4

──そうでなければ、この身は何故存在するのか? 生まれた意味もなく、朽ちる価値もない、この身に。何より、己という存在の根底から、制御が出来ないほど強く、強く、突き上げるように強く涌き出る思いを捨てきることは出来ない。理屈ではなく、理由もなく。
在りたいと、『神』で在りたいのだと、強く、激しく、切実に。
願いは、祈れるならば誰に祈ったとしても構わない、誰でもよいから叶えてほしい、そう思うほどに、強い。情けないほどに、強い。
けれど・・・この身にそれは許されない。誰かに祈ることなど、決して。もしそれを我が身に許すならば、それは願いが叶わないことと同義だ。『神』は・・・祈られるものであって、祈るものではない。もし祈るならば、それはもう、『神』で在ることを放棄したことに等しくて。
だから、祈れない。けれど、祈りたい。祈りたいと望むほど、この願いは強く。

「『神』で、在りたいのです」

どうすれば叶うのか、見当もつかないのに、それでも繰り返す。繰り返し、重ねる。重ね続ければ、何かの形になると信じているかのように。勿論、そんなことは有り得ない。有り得ないと知っている。知って、いたのに。
たった独り──そんな漠然とした思いに囲まれて、小さな震えが大きくなりかけた時、ふいに響いたそれに震えは別の意味を持って大きく変わる。震えるはずの手足の代わりに肩が大きく震え、聞こえてきたものを確かめる為に周囲を見渡せば、覗き込んできていたはずの顔は正面を見据え、その横顔だけが見えた。
少女の、笑っている少女の、横顔。
突然のことに、何も考えられず、笑っている顔をただ見つめることしか出来ないでいた。軽やかな声を響かせて、真っ直ぐ前を向いて笑っている、横顔。それはとても、とても楽しげで。正面に広がる暗闇に発しているのが不思議なほど、隣に醜い神もどきが在る状態で響かせているのが不思議なほど、朗らかで。
どうしてそんなに笑うのか。どうして今、笑うのか。不思議、だった。今の話の中で少女が笑うような理由があるとは思えないから不思議だったし、それに・・・笑い声自体が、笑顔自体が、どこか、そう、何か、表現出来ないけれど不思議な感じがするから。神々の笑い声のように逃げ出したくなる類ではない。そうではないけれど、一瞬たりとも目が離せないほど、不思議だった。
「あぁ、ごめんなさい。いきなり笑い出しちゃって」逸らせない視線をじっと注いでいると、少女は肩を、腕を、足を震わせながら、深呼吸を繰り返して謝罪してくる。その告げられる謝罪に首を横に振って応えると、少女はその間にどうにか広がっていた笑いを掻き集め、それからゆっくりと立ち上がる。
手は、いつの間にか離れていた。離れていると気づいて、初めて繋がったままでいたことを思い出した。
「つまり、話を要約すると・・・」立ち上がった少女は、立ち上がった時と同じくらいのゆっくりとした動きで私の正面に立ち、両手を後ろに回して左右に小さく揺れながら口を開く。まるで、あの跳ね上がる水のように楽しげな揺れ方。
「貴方は神様として生まれたのに・・・あー、えっと、その・・・まぁ、多少個性的な外見の所為で他の神様に馬鹿にされて、それが耐えられなくて逃げてきた、と。で、神様として認めてもらえないってことで、だけど・・・神様として生まれた以上、神様になりたいってことでいいんだよね? 『神様』に、なりたいんだよね?」
揺れは続いている。続いたままなのに、少女の問いは真っ直ぐにこの胸を貫く。でも、そう、その通りだった。『神』と認めてもらえないほどの醜さであるのに、認めてもらえないのが当然の外見なのに、それでも・・・『神』で在りたいと、痛切に願っている。望んで、いる。
答えは、声にならない。ならないが、それでも肯定せずにはいられなくて、無言のまま、何度も、何度も首を振る。縦に、何度も、何度も。すると少女もまた、首を何度か縦に振り、それから一度、その場で小さく弾んで。
「ねぇ、じゃあさ」手に握る、白い布が唐突に脳裏に蘇る。見えるはずのない我が身に差し出された、白。有り得ない、有り得るはずのない奇跡なのに、その偉大さを欠片も感じさせないほど軽々と差し出された、あの瞬間。焼き付けられたように目の前に鮮やかに蘇って。
逸らせない視界の中で、少女はまだこの目で見たことのない、花の開花に似た仕種で開いた口から、聞いたことのない言葉を流す。


「私が、貴方を『神様』にしてあげようか?」


何を、言われているのかが分からなかった。何かを言われている、その程度しか分からない。頭が飽和して、何故悠長に椅子に座ったままでいるのか、それすら分からずに。眩暈がした。世界が、揺れる。
少女と同じように、揺れる。
「・・・なに、が?」掠れた、情けない声。洩れたのは己の口からで、掠れたその声は哀れなほど惨め。けれど少女の笑みは変わらない、壊れない、失われない。浮かべた笑みをそのままに、軽やかにその続きを描く。
「だって神様って、信じる人間がいて、その人間が信じるから神様になるものじゃない? 誰も・・・たとえば人間がひとりも信じてなかったら、神様っていないと思う。どう? 違う?」
「それは・・・そう、かもしれません」
「でしょ? ってことはさ、逆に言えば、信じる人間がいれば、人間が信じさえすれば、神様は存在するってことじゃない? たった一人でもいいから、人間が信じさえすれば、一応『神様』ってことでしょう? だから──私が、信じてあげる。貴方のこと、神様だって、認めてあげる。認めて、信じてあげる。そうしたら、貴方も立派な『神様』でしょう?」
ねぇ、そうでしょう?・・・と、問いの形を取った少女の断定は、圧倒的な力を持って、絶対的な存在感を見せつける。煌々と、真上から注がれる光より尚、強烈に、動けないこの身を焼く。無様な形で、縫いつける。
声は、出ない。瞬きも、出来ない。身じろぎなんて、絶望的。ただ、目が熱い。内側から何か、鋭い物で何度も突きつけられたように、痛い。痛くて、痛くて、また、あの水が、『涙』が生まれ始める。零れそうに、なる。流れれば、零せば醜い顔がまた汚くなると思うからこそ堪えて・・・堪えながら、絶望的だった全ては意味をなくしていた。顎を振り回すように、何度も、何度も縦に振って。
難しいことなんて考えられない。それでもその通りだと思う。縋りつくように、そう、思う。誰かが、たった一人で構わないから、誰か、人間が、たった一人でもこの身を、醜いこの身を、それでも『神』だと思ってくれるなら・・・信じて、くれるなら。

──きっと、この世の全ての神々に笑われたとしても、『神』で在ると、胸を張れる。

「あ、の・・・あの、ですね、その、貴女は、私を・・・」
「してあげる。私が、貴方を『神様』にしてあげる。貴方を『神様』だって信じて、『神様』にしてあげる。・・・けど、何もないのにただ信じるって、出来ないじゃない? ほら、私、貴方のことは泣いているところしか見たことないし、そんな相手をただ信じるって、やっぱり無理だと思う」
言いたい事も纏められない私とは違って、少女は笑いながら滑らかに言葉を重ねる。初めから重なっているものを辿るように、軽々と。あまりに簡単に辿られるので、ついていくことすら難しく、ただ、もう、私には──笑う、少女しかいなくて。他に、何もなくて。誰も、いなくて。握り締める、握り締めないようにしようと思っていた、白い布。
何もない私が、今、唯一持っているもの。唯一、他の誰でもなく、この私に差し出されたもの。これ、だけが。
いつの間にか、少女はその身を揺らさなくなっていた。そして目の前に伸ばされる、両の手。この手だけが何度でも、伸ばされる。伸ばして、くれる。
「だからね? 私の提案。貴方は『神様』になりたくて、私が貴方を信じてあげれば『神様』になれて、だから・・・私が貴方のことを『神様』だって思えるようにしてくれたら、私、貴方を信じて『神様』にしてあげる。だから、だからね? だから・・・私が貴方を『神様』だって信じられるように・・・」


──私のことを、救ってほしいの。