long3-5

──どのくらいの時間、そんな痛切な願いを抱えて他愛無い事を繰り返していたのだろうか。
ただ何度目かになる、土手から転がり落ちるという行為をしている最中、思っていたのとは少々異なる方向へ向かった身体が何か硬い物にぶつかったのだ。
身体が回転中だったので止まる事はなかったが、それでも下まで転がり落ちた時、ぶつかった物が何であるのかが妙に気になって。
「どうした?圭」
「いや、今転がってる最中に何かにぶつかったんだよな」
立ち上がった俺の様子が気になったのか尋ねてくる阿倍にそう答えると、その何かがある方向に向かって戻ってみる。
後ろから阿倍がついて来るのを感じながらそこに近付いてみると、見下ろした先、落ちていたのは・・・少々大きめの、桜の枝だった。
「枝って勝手に落ちるもんだっけ?」
「勝手に落ちるもんかどうかは知らないけど、これは違うんじゃないのか?」
切り口が妙に直線だろ、と阿倍が指した場所は、確かに何か道具を使って切ったのだろうと想像させるほど綺麗な直線だった。
その部分を見ながら拾い上げた枝は、場所的に桜の枝だとしか思えなかったけれど、花も蕾もついてない状態だったので断定は出来ず。
持てないほどではないけど、割合ずっしりと腕に重みを感じるそれを何となく振ってみれば、枝から伸びる小枝が小さく揺れた。
「でもこれ、誰かが切ったんならどうしてこんな所に転がってるんだろ?」
「あれじゃないか?誰かが桜の枝整えて切って、その時これだけ回収し忘れたとか」
「あー、なるほど」
想像するしかない枝の運命だが、阿倍の予想は確かに有り得そうで、枝を揺らしたまま納得した。
そしてそのまま枝を地面に置こうとして・・・けれどその時、唐突に強い風が吹いて。
掲げたままだった枝がその風を受けて大きく傾げ、同時に枝を持っていた俺もその風の力に押されるようにたたらを踏んで。
「うおぉっ!」
「圭!」
枝を持った手が傾いだ枝に引っ張られた状態で、傾いた身体。
いきなりの事態に驚いて声を上げた俺と、同じく驚いた阿倍と、伸ばされる阿倍の手。
伸びてきたその手が枝を持った俺の手を引っ掴んでくれたのだが、再び強い風が吹いて・・・結局、そのまま二人でその場に転がってしまう。
「圭!オマエ、もうちょっと踏ん張れよ!」
「ってか、オマエこそ支えるならもう少し力入れて支えろよ!」
手にした枝は離さないまま、二人互いを罵倒し合っていると、三度、強い風が吹いて。
座り込んだ状態で咄嗟に二人で枝を地面に突き刺すようにしながら、立てた枝を力一杯支える。

・・・倒れない、ように。

必死で支える枝、抵抗する風の力。
けれど妙に強い風は、その後も休む間もなく何度も吹いて。
「ってか、何なんだっ!この風!」
「あ!もしかして春一番ってヤツじゃねぇーのっ?」
「砂っ!砂目に入る!」
「じゃあ目開けるなよ!・・・って、口に花弁が!」
「口開けなきゃ・・・うおぉ!マジに入る!」
「馬鹿圭!ざまぁみろ!」
何度も吹く風に巻き上げられる砂と花弁に襲われながら、二人大騒ぎして枝を支え続ける。
後から冷静になって考えてみると、べつにそこまでしてこの枝に拘る必要なんてなかったのだろうが・・・そこまでいくと、もう殆ど意地だったのだと思う。
負けるもんか、という言葉が出てもおかしくないような強固な意志の中、暫しの後、吹き荒ぶ風はようやく終わりを見せる。
そうしてきつく瞑っていた目をほぼ同時に開いた俺と阿倍の視界に最初に映ったのは、支えきった枝と・・・砂塗れ、花弁塗れの互いの姿だった。
「必要性は全くなかったと思うんだけどさ・・・なんか、やり切ったって感じ」
妙な脱力感が漂う中、阿倍のその言葉が良く響いた。
それについ洩らしたのは、どうしようもない程の笑い声。
洩らしたそれに釣られたように上がった阿倍の笑い声を聞きながら、暫く笑い合って・・・やがて本当に自然に、意識する事なく、当たり前みたいに出た二人一致した意見は。


これにしよう、だった。


川の付近から拾ってきた、比較的大きめで鋭利な角を持つ石で、二人その場に穴を掘り出す。
大きさは求めない代わりに、深さだけを追求して。
「どんくらいがいいかな?」
「深めの方がよくないか?この風があるからさ」
相談しつつ掘り進め、最終的に掘った深さは枝の長さの半分近くにもなった。
満足いく深さまで掘った後、慎重に、慎重に・・・絶対に倒れないように角度を調整してその穴に枝を挿し、土を掛けつつまた角度を調整して。
穴を掘って枝を突き刺す、ただそれだけの行為に物凄い時間が掛った。
その所為か、終わった後は何か偉大な、大変な事を成し遂げたような気分になって・・・。
いや、本当に大変な事を成し遂げたのだ。
少なくとも、俺達二人にとっては。
「・・・終ったな」
「あぁ、終わった」
示し合わせたように二人、同じ事を言い合いながら、ゆっくりと後退りをする。
目の前にある、自分達の成果をじっくりと見る為に。

突き刺した枝は、地面に埋めた部分が多すぎて、元の大きさが想像出来ない程の短さしかなく。
だけどまだ時折吹く風に揺さぶられ、つけている小枝を揺らす様は先と変わらず。
花も蕾も葉もないけれど、それでも丁度大地を照らし始めていた朝日を受けて、酷く美しく見えて。
それはまるで・・・。

「こういうの、映画か何かで見た事あるような気がする」
「俺もそんな気がする。けど・・・何だっけ?」
「うーん・・・あ、あれだ、圭。前見ただろ?あの海外の戦争ものに出てきたヤツだよ」
「あぁ、あれか」




まるで戦場で勝者がたてた、勝利の旗のような。




「勝ったか?俺ら」
ふいに自らの口から零れた問い。
それに反応してこちらを向いた阿倍の顔も、朝日に照らされて赤く染まり。
きっと俺の顔もそうなんだろうなと頭の片隅で考えながら見つめるその顔は、数秒間黙って俺を見つめた後、たった今俺達が立てた旗を見つめて。
「ってか、そもそも誰かに相手にされてるのか?」と、尤もな問いを返してきたのだ。
多分、その問いに対する答えは『否』だ。
誰も、そう、誰も俺達が上げた声を、抵抗を、相手になんてしてない。
だって俺達以外の人達にとって、俺達が疑問に感じている、抵抗を感じている事は当たり前で、俺達の行動なんて取るに足らない事で。
だけど、それでも。
「・・・まぁそれでも、べつにいいんだけどさ」
「そうだな」

だって誰に相手にされなくたって、俺達は抵抗し、戦い続ける。
そしてその戦いの証しを、ここに立てたのだ。
だから、きっと・・・。


「戦い続ける限り、勝ちって事だよな」


もしかしたら、それは間違った結論だったのかもしれない。
もしくは、ずれた結論か。
けれど同時に、俺達にとっては何より正しい結論でもあったのだと思う。
そう、これはこの世の、俺達の在り方を認めない、全人類に対して。

俺達は、このままずっと──

進みません、
戻りません、

この場所にしがみ付きます、しがみ付く為に戦いますという・・・。




──二人だけで翻す、全人類への反旗なのだ。




「・・・さて、どうするか」
「どうするかも何も・・・戻るだろ」
「だよな」
答えを知っていて口にした問いに、当たり前のように当たり前の答えを阿倍は返した。
そう、当たり前だった。
現実的に考えて、当たり前。
この場にどんな旗を立てられたとしても、今の俺達は戻る以外の選択肢を持っていないのだ。
・・・というより、それ以外の選択を出来ない。
俺達は二人揃って良い意味でも悪い意味でも堅実で確実な選択しか選べない人種だから。
でもだから・・・こうしてこの場にいる事自体が奇跡なのだ。
奇跡的な、強い意志が伴う選択の結果。
だからここに辿り着けた。

まだ弱い、俺達でも。

朝日が刻一刻とその色を白くしていく中、顔を見合わせた俺達は、ただ笑った。
笑って、そして・・・何も言う事なく、仕種だけで互いの意図を掴み、一致した意思の元、一度は離れた枝に近づき・・・。


記念を、誓いを、証しを手にする。


そしてしっかり握り締めたそれを手に、今度こそ本当に枝から離れて・・・来た道を新たに歩く。

「しっかし戻るって言っても、家に戻るのか?」
「うーん、どうすっか。でも日が出てきてるから、そろそろ学校行く時間じゃねぇ?」
「あー、今日卒業式だっけ?」
「忘れてたのかよ、圭」
「結構忘れてた。でもじゃあ学校直行するのかよ?」
帰り道を、何処に帰るべきか相談しながら歩く。
行きとは逆に段々と明るくなる景色の中、見えなかった周りの風景が見えてきて。
のんびりとした歩調は帰りたがっているのかそうでないのかが分らないほど遅く、だけど確実に。
「ってかさ、よくよく考えてみたら、俺らって一晩帰ってないって事だよな?」
「よくよく考えなくてもそうなんじゃねぇーの?」
「・・・家、どうなってるかな」
「少なくとも、ウチは怒ってるだろうな」
「阿倍ん家、煩いもんなー・・・って、俺ん家も流石に怒ってるよな、きっと」
「なんかさ、どうせ怒鳴られるならやっぱり学校直行しねぇ?荷物も持ったままだしさ。それに一応皆勤賞だろ、今のところ」
「そうだよな。つーか俺ら真面目組だもんな」
「でもそれも昨日までの話かもな」
「何で?」
「だってさ、学校に連絡いってる可能性もあるだろ?」
「あー、なるほど。ウチの子が帰ってません、ってヤツ?」
「そうそう」
「でもそうなると、学校行った途端に説教、とかって可能性もねぇ?」
「ある。でもそれでも出席日数はカウントされるだろ。大体、家に帰っても学校行っても説教されるなら、出席日数カウントされるだけ学校先に行った方がマシだろ」
「そりゃそうだ」
見える風景が次第に見知ったものに近づいてくのを横目に、繰り広げるのはいつも通りの他愛無い会話。
向かう先を学校に定めてから後は、いかに先生達の説教を潜り抜けるか、そしてそれには優等生という今までのスタイルを活用するのが有効では、等とある種、腹黒い計算と計画を立てながら歩いて。
多分正門に辿り着いたのは、いつもよりずっと早い時間帯、まだ生徒が誰も登校してないような時間帯だったと思う。
見えてくるその景色は、昨日の帰りがけに振り返った景色と全く同じで・・・。

「・・・は?」
「・・・へ?」

思わず止めてしまった歩みと、洩れてしまった間の抜けた声。
相変わらず舞い散り続ける桜の下、ただ突っ立っている俺達は、傍から見たらさぞかし間が抜けて見えた事だろう。
でもそれもしかたがないと思う。

咲き乱れる桜。
花弁に埋め尽くされた地面。
開け放たれた校門。
少し遠くに見える校舎。

だってそこには・・・。


昨日見た光景と、全く同じモノが広がっていたのだから。