long3-4

「・・・どう、して」
「阿倍」
感じた震えが俺のものか阿倍のものか、それは分からなかったけれど、でもその震えを打ち消すように、しっかりと手を握り締めた。
そしてそんな震えなんてどこにもないかのように、いつも通りの声を出すのだ。
「ってか、これ、マジで何処まで続くんだろうな?」
「分からん。でも全然終わりが見えなくね?」
「まぁな。でもいつかは終わるだろ?海まで続いてたとしてもさ」
「そりゃ、海ん中までは続かないしなー。あー、でも・・・」

終わらなかった、どうする?

冗談混じりの阿倍の言葉。
終わるに決まっている事を前提にした、だからこその、俺達がよく口にする戯れ。
だけど・・・その時ふいに沈黙が落ちたのは、阿倍の言う、終わらないという未来を思っての事。


羨望せずにはいられないような、未来。


「・・・終らなかったら、ずっと終わりまで確かめに行けばいいだけだろ」
見通し辛くなった先を見つめながら、自然と口から零れたのはそんな言葉だった。
それに阿倍が小さく笑って「そうだな」と返してきて、それで・・・いつの間にか止まっていた足を再び進め出した。

「でもさ、こうして桜の下を歩いていると、ちょっと思うんだよな」
「何が?」
「桜って絶対咲いてる花弁の量と散ってる花弁の量が合ってなくね?」
「・・・合わない訳ないだろ。常識的に考えろ、圭」
「いや、そりゃ分かってるって。でもさ、見た目的に、明らかに地面に散ってる花弁の方が多く見えるんだよな」
「まぁ、確かに言われてみれば・・・。でもそれ、目の錯覚ってやつだろ?」
「あー、なる。じゃあ、本当に本当は」

形は変わっても、ここにある花弁は変わってないって事か?

「・・・そう、かもな。でも圭、下に落ちた花弁は、いずれゴミ箱行きなんだぞ。たとえ・・・たとえ散るのが自然でも、その方が潔いとかって褒められても、それでも散っちゃったら、あとはもう」


終わる、だけなんだ。


他愛無い話の途中、地面に敷き詰められた花弁を、ある時は避け、またある時は態々踏み潰しながら歩く。
避けた花弁はその時の風圧で小さく舞ったかと思うと、そのうちの数枚は態々避けてやったこちらの足元に落ちて潰されるし、意図的に踏んだ花弁は当然、小さくひしゃげてしまう。
汚く、それこそ塵としか思えないものに。
つまり避けようと避けまいと・・・落ちてしまえば阿倍の言う通り、塵になるだけ。
終わる、だけ。
念入りに踏み潰した花弁。
眼を背けるようにして振り仰いだ先に咲く、穢れない、誰の手にも落ちていない花弁。

咲いたなら散る。
たとえそれがこの世の定理で、常識で、仕方のない事だったとしても、きっと・・・きっと中には。


諦めきれないヤツだって、いるはずなのに。


「・・・あれだ」
「どれ?」
「いや、その『あれ』じゃなくって」
「知るか。主語もないのにそんな事分かるわけないだろ、圭」
唐突に口にした言葉に、怪訝そうな色を浮かべる阿倍の横顔。
尤もなその言葉に、一度黙って、それから・・・再び、上を振り仰ぐ。
きっとそこには、一枚、いや、二枚はあるはず。

「だからさ、俺だったら・・・諦めないし、納得しないと思って」

そういう事になっているのだといくら諭されても、絶対納得なんてしてやらない。
だってどうして他人が言うままに、指示するままに進んだり、落ちたり、振り返ったり、立ち止まったりしなくてはいけないのだ。
どうして・・・。


どうして、その場所にしがみ付いてはいけないのか。


「・・・そうだな。それは、同感」
振り仰いだまま、また止まってしまった足。
促すように繋いだままの手を引いた阿倍が、笑ってそう言うから。
俺も同じ様に笑い返して、まだ見ぬ果てに向かって歩き出す。

意味があるようでない会話を繰り返して。
偶に所々音を外した唄を口ずさんで。
見上げる桜はいつの間にか星とともに夜空に浮かび、傍を流れる川は得体の知れない何かが棲んでいそうなほど暗い。
もうどのくらい歩いているのか、時計すら持たない俺達には知る術はなく、それでも大分長時間歩いているだろうに、不思議と疲れは感じなかった。
二人揃って、大して体力はないはずなのに。
それなのに全く疲れを感じない身体は、まだ先へ先へと進む事を望んでいた。

「今だったら世界の果てに行けそうな気がする」
「そこまで大きく出ることなくないか?」
「阿倍、野望は大きく持つもんだって」
「夢なら大きく持つかもしれないけどな」

別に本気で世界の果てに行けると思っているわけではないし、行きたいわけでもなかった。
でもただ俺は・・・俺達は。

いつまでも、こうして互いの隣を歩いていたいのだ。

それは今日見かけた先輩達のような形ではなく。
今ここに在る、この形で、この俺達で。
他人が言う、別の形ではなく。


たとえ世界中の全ての人が間違っていると言っても、この場所にしがみ付いていたいのだ。


「そういや、圭、オマエ平気?」
「何が?」
「暗いし寒いから」
「・・・だから?」
「オマエ、恐がりなうえに寒がりじゃん」
「・・・それは違う。オマエが無神経なうえに寒さに強いだけだ」
「ま、生物学的に言って、圭の方が弱いのはしかたがない事だけどな」
「何でだよっ!」
他に誰もいない道に響く、俺の叫び声。
それに被さるようにして聞こえてくる、阿倍の笑い声。
聞こえてくるそれを何となく腹立たしく感じて・・・だけどそれも長くは続かず、次第に俺も笑い出してしまう。
それで結局、二人分の笑い声が辺り一体に響き渡るのだ。
漣のように高まっては引いて、引いては高まって。

いつまでも続いて、一向に収まらない、笑い声。
いつまでも散って、一向に終わらない、桜の舞。

ずっとずっと続くと思えそうなそれ。
続くと、信じていたい現実。
けれどそんな時間も、唐突に途切れてしまう。
そう、いつだって・・・終わりは唐突なのだ。


「・・・ここまで、だったんだな」


街灯も殆どない状態だったので、数メートル先も見えず。
だからすぐ間近になるまで、気付かなかった。

桜の終わりに、辿り着いていた事に。

それは本当に唐突だった。
別に橋が掛っているとか何か特殊な場所だったわけではなく、勿論、川の終わり、海に差し掛かっていたわけでもなく。
歩いている道もまだ続いていて、川も続いているのに・・・ただ桜だけがすぐ目の前、あと数歩先の所で途切れていたのだ。
前触れも、なく。
それに気付いた途端立ち止まらざるを得なくなった足を、無理やりにでも動かしたのはどちらが先か?
意識はまるで唐突に夢から覚めたように呆然としたままで、脳は何の動きも見せないままで、それでも足だけを動かして向かったのは最後の桜の元。
終わりを飾るはずの桜は、だからといって特別立派なわけでもなく、今までと変わらない、ごく普通の桜だった。
「もうちょっと、こう・・・なぁ?」
最後なんだからさ、と思わず訴えるように言ってしまった俺に、阿倍は頷き掛けて・・・ふいに思い立ったように言った。
「でも案外、こっちが始まりなのかもよ?」
「成る程・・・って、始まりにしたってこれはどうよ?」
「・・・確かに。でもほら、始まりは唐突なモンだから」
「いや、それ、無理やり臭いんだけど」
名案を思いついた、と言わんばかりの阿倍の言葉に一度は頷きかけたのだが、すぐに納得いかなくなって反論すると・・・珍しく阿倍が苦し紛れの弁解をして。
暫しの間、二人並んで微妙な沈黙の中にいたのだが、どちらともなく零れたのは軽い溜息。
それから示し合ったかのように、揃って土手を下り始める。
近くにあった階段で降りた場所は、先ほどまでと同じようにやっぱり花弁が地面を覆い尽くしていた。
ただ・・・少し先には、全く花弁がない地面もあって。
別にはっきり分かれているわけでもないのに、何故か俺達の目にはその境目が見える気がした。
だからその境を越えたりはしないで、二人揃って最後の桜、その張り出した枝の真下に腰を下ろす。
敷き詰められた桜を、踏み潰すように。
「さぁて・・・どうすっか」
「あー、どうするかな」
両足を放り出し、手を後ろについて、首を思いっきり仰向けさせて無意味な言葉を吐き出せば、隣からも似たような言葉が聞こえてくる。
横目で伺えば、片膝を立てて、その立てた膝の上に肘を付き、更にその上に自分の顎を乗せて目の前に流れる川見つめる阿倍の横顔が見えて。
その横顔が俺の視線に気づいたのかこちらに向けられて、しっかり視線が合うのと同時に互いに洩らしたのは、多分諦めに似た笑み。
だけどそれを合わせた互いの瞳で自覚した瞬間・・・。

「立て、圭」
「俺はアニメの主人公かよ。ってかもう立ってる」

絶対に駄目だ、と思った。

だから座り込んでいた俺達は、互いに声を掛けて立ち上がる。
けれど立ち上がった後何をするかなんて一つも決めていなかったので、忙しなく相談するのだ。

何かをする為に、何が出来るのかと。
座り込まない為に、何が出来るのかと。

「あれだ、とりあえずこういう場面では何か叫ぶのがセオリーだろ」
「馬鹿圭。それは夕日がある場合だって。大体常識的に考えて、こんな真夜中に叫んでみろ、すぐにお節介な奴が通報するぞ」
「まぁ確かに。でもじゃあどうする?」
「そうだな。じゃあ・・・せっかく目の前に川があるから、何か記念品を流す」
「・・・俺等、手提げ袋くらいしか持ってない気がするんですけど?」
「・・・圭、お前泳ぎ得意な気がするだろ?ちょっと記念に泳いでみろよ」
「まず第一に、お前が断定出来ないくらい俺は泳ぎが得意じゃないし、得意な気もしない。そして第二に、この季節に川で泳いだら、今日が俺の命日になっちまう可能性が大だ」
「一生に一度の記念日だな」
「・・・言いたい事はそれだけか?」
そんな馬鹿な事を言い合って、結局やった事といえばその辺を追い掛け合ったり、川に石を投げ込んでみたり、土手を登って落ちた花弁を巻き込みながら転がり落ちてみたり。
馬鹿みたいで、無意味で、けれど決して無駄ではない事。
だって・・・今ここで、何かする事に価値があるから。
だけどそんな事ばかりを繰り返しながら、本当はずっと考えていた。
多分、阿倍も。
俺達は、何か・・・。


何か、友情を留めておく為の証を、形を、その場所に探していたのだ。


目に見えないものだからこそ、他人に証明し辛いものだからこそ、明確な形を。
誰もが有り得ないと、そう言い続ける場所に辿り着いたという証しを。