long3-1

「・・・入らねぇ」

最近本の発売日が重なった所為で、むやみやたらに部屋の床に平積みになっていたそれらをその時本棚に入れようとしたのは、べつに深い意味があっての事じゃなかった。
ただ何となく、散ばっている己の部屋が目についたから。
たったそれだけの理由で数冊手に取って立ち上がり、本棚の空いているスペースに適当に押し込んだ本は・・・己の予想に反し、何故か奥まで入りきらなかった。
大げさに言うなら、予想すら立てる事も出来ないほどの予想外の事態だ。
半分くらい入ったところでそれ以上入らなくなってしまった本を手に、そんな言葉を思い浮かべながら呟いた独り言。
だけど独りっきりで独り言を敢えて声に出して呟くほど無意味で虚しい人間ではない俺の言葉は、どんなに小さく呟いていても当然のように聞かせる対象がいて。

「入らないなら何かが先に入ってるって事だろ」

あっさりと返ってきた声はすぐ傍から。
まるで己の部屋にでもいるかのように寛いだ雰囲気で、床に散ばっていた本の中から一冊を手にして読んでいた阿倍は、視線を紙面から上げて俺を見ながらおかしそうな顔をして断言する。
楽しげなその顔を見ながら、多分俺の不服そうな声が楽しかったのだろうなとその心情を予想しつつ、こちらも一言「まぁな」とだけ答え、それから大した考えもなく手にしたままの本を更なる力で押し込んで・・・。

結果、その隣に位置する本が数冊、いきなり棚から落ちてしまった。

「何してんの?」
自身の心の声を代弁したかのような声は、当然のように隣から。
笑いが八割、残りの二割を呆れたと言わんばかりの溜息で構成しているその声の主は、それでも落ちた本を拾って差し出してきてくれる。
確かに自分でも思っていた事だが、それこそ本当の独り言として胸の内だけで呟いていた言葉を実際に声という形にされてしまった事に、多少の腹立たしさを感じてしまい、差し出された本を受けると瞬間、無言のまま少しだけ阿倍を睨んでしまったのは仕方のない事だと諦める。
そして受け取った本は元の位置に。
・・・押し込んだら、今度は押し込み途中だった本が飛び出して落ちてしまった。
「だっ、だから・・・何、してんの?」
考えれば分かる結果。
だけど感情が先行する場合は考えるより先に行動しているもので、つまり考えなしの行動となってしまうわけで。
分かっていて、現実を認識していて、それでも・・・笑うあまり出した言葉が途切れているその声を聞けば、自然、腹は立つのだ。
「本が落ちてきたんだよ」
見れば分かるだろ、と半ば八つ当たりめいた苛立たしさを交えての言葉を吐けば、それを聞いた阿倍の声にはいっそう楽しげな色を帯びて。
「落ちた、じゃなくて落としたの間違いだろ」
滲んだ笑いをそのままにそう言った阿倍をちらっと睨むと、今度こそはっきりと笑い声を上げた阿倍は・・・落ちた本を手にして立ち上がり、憮然としている俺を余所に、本を押し込んでいたその場所を覗き込む。
「・・・ってか、マジになんかあるっぽいんだけど?」
「は?何が?」
「知らん」
中を見通すように目を細めていた阿倍が、眉間に皺寄せながら発した言葉。
笑いの代わりに今度は真面目な色を交えての言葉に、思わず俺も眉間に皺を寄せながら問い返すと、酷く簡潔な答えが返ってきて。
二人してじっと棚の奥を見つめている様はある意味おかしく、けれど当人達にとっては真剣。
無言のまま怪訝な思いで見つめていたのだが、やがて事態の解決の為、手を伸ばしたのは僅差で俺の方だった。
伸ばして、突っ込んで、引っ掴んで・・・引き戻す。
そうして引き戻した手が握り締めていたのは、おそらく菓子でも入っていたのだろう白い小箱。
何の変哲もないそれ、けれど目にした瞬間驚きの声すら上げる事が出来ず。


その存在を忘れた事なんてないのに、目にするまで思い出す事がなかった。
だけど一度思い出してしまえば、蘇る記憶はあまりにも鮮やかで。


咄嗟に声が出なかったのは、脳裏に蘇ったその記憶が膨大すぎてそれを処理するだけで手一杯だったから。
そして多分・・・否、間違いなく、それは隣にいる阿倍にも言える事で。
暫しの沈黙の中、ゆっくりと伸びてきた手が小箱を取り上げ、己の手の中で転がすようにした後、更にゆっくりとした動作で・・・その蓋を持ち上げた。
開いた先、幾重にもティッシュで包まれたモノが何であるかを知っている。
だからこそそのティッシュを避ける仕種も慎重で、包まれたモノが何であるのか分かりきっているのに、目にするだろうその瞬間を思って心拍数が高まり、そして・・・。



あの頃より小さく見える、けれど紛れもなくあの時の証がそこに在った。



「・・・こんなに小さかったっけ?」
溜息のような、感嘆のような呟き。
零れ落ちたそれが今の自分の感想と同じであることに小さく笑って、今俺もそう思ってた、と告げれば、相手からも笑いが零れる。
零れた笑いに更に笑いを誘われて笑えば、そんな俺と同じ様に阿倍もいっそう笑って。
決して大声で笑っているわけではないが、収まらない笑いに痛くなる腹を抱えてその場で座り込むと、やはり同じ様に腹が痛くなったのだろう阿倍が隣に座り込む。

・・・大切なモノが入った小箱を、大切に握り締めながら。

「・・・少し、はさ・・・成長、したってこと・・・か、な?」
「なっ、にが?」
「小さく・・・見える、だろ?」
だから成長したのかと思って、そう何とか続けただけで、もうそれ以上息が続かなかった。
笑い、過ぎて。
けれど痛くなった腹を擦りながらの言葉に、てっきり同意するものと思っていた阿倍は緩く首を横に振るのだ。
「阿倍?」
「だって、さ。成長は、しないだろ?」
主語を抜かれた言葉は暗示。
抜いた事によって、分かり易過ぎるほど分かり易くなった。
「・・・そう、だな」
だから同意を返した俺は、それでも残る疑問を口にする。
「でもじゃあ・・・小さく、見えるのは?」
どうしてだと思う?と最後まで疑問を口にする必要もなく、問いはすぐに解決する。
確信を抱いた、真っ直ぐな声で。


「その分、強くなったって事」


あぁ、なるほど。

いつだって、納得させられるのは俺の方。
そう、思い掛けて・・・ふと、胸に過ぎる、いつかの光景。

舞い散る、降り積もる記憶の想い。

・・・そう、あの時は。


あの、時は。


※※※※※※※※※※


あれは六年前の小学校四年の時。
クラス替えを目前に控えた、卒業式数日前の事。


「嵯峨ぁ、いよいよだなぁ?」
「・・・何が」
「何がって、そりゃ、クラス替えに決まってるじゃん!ったく、すかしちゃってさー?本当はドキドキなんじゃねぇーの?」
「べつに。クラス替えするのは俺だけじゃないだろ」
「そうだけどさ、俺達とお前とじゃ意味が違うじゃん。お前とアイツはー」
俺等とは違う絆って奴で結ばれてるんだからさ、とわざとらしい声を上げて他人の机に許可もなく凭れ掛かってきたクラスの馬鹿男が、心底疎ましかった。
しかもそれが一人二人ならまだしも、ほぼクラス全ての男子に及んでいては・・・よく仮病でも使って学校を休まないものだと思う。
尤も、そんな行動が取れる性格でもないのだが。
それに。

俺一人休んでも、意味がないし。

だからしつこく絡んでくる奴の言葉に、興味なさ気に、殊更どうでも良さそうに答えたのだが、他人の心情を考慮するという理知的行動が取れないその馬鹿は、結局いっそう絡んでくるだけなのだ。
あまりにもあからさまな意味合いを含んだ声で。
・・・正直、自分はわりと日和見的な性格だという事は自覚していた。
楽な方にすぐ流される性格だとも、面倒ごとは嫌いだとも。
だからどんなに馬鹿な事を言われても、大抵は当たり障りなく流してしまう。
口には出さないけれど、実際は物凄い根に持つ性格だったりしても、厄介な事に巻き込まれない為にいつもだったらこういう事は受け流しているのだ。
だが、人間どうしたって限界はある。
たとえばそれが、物凄い馬鹿が物凄い馬鹿な言葉で。


俺の、一番核となる部分に触れる事とか。


「嵯峨」
ムカつきのあまりつい口から出そうになった本音。
己の曲がった根性がはっきりと露呈しそうなそれを口にするより一歩早く掛かった声は、教室の片隅からだった。
決して大きな声ではないのによく通るのは、多分そこにこの場の誰よりも理知的な響きが含まれているからだと思う。
俺達子供にとって、腕力と同じくらい冷静さや理知的な態度は力があるものだから。
そしてだからこそいまだ馬鹿に絡まれていた俺も、その場から離れて声のする方向に抜け出す事が出来たのだ。
「何?黒河」
「嵯峨、図書委員だったろ?さっき司書さんが放課後の貸し出し係、忘れないようにって言ってたぞ」
「ふーん。分かった」
近づいた俺にあっさりそう言った黒河の言葉は、いつも通り淡々としていたし、内容としておかしな所はなかった。
それでも俺は・・・ほぼ反射的にその言葉を疑っていた。
本当に言伝を頼まれていたのか、という事を。
だって今まで俺は係りと名のついたものをサボったことはなかったし、そんな俺に態々司書さんが念押しのような言伝を頼むとは思えなかったから。
それに・・・。

「阿倍」

・・・それに、俺と全く同じ状況だっただろう阿倍を、次の瞬間には同じ様に黒河が呼んだから。

「何?黒河」
「お前も図書委員だろ?今日、放課後の貸し出し係忘れるなってさ」
「了解」
近づいてきた阿倍に、やっぱり同じ言葉を繰り返した黒河は、まるで自分の役目は終わったと言わんばかりに、態々立ち上がっていた身体を椅子に下ろす。
その黒河に倣って、何となく周りを囲むように近くの椅子に適当に座る俺と阿倍。
でもだからと言って俺も阿倍も何か黒河に話があるわけじゃなく、黒河もその後自分の机から図書室で借りたらしい本を取り出して読み初めてしまう。
まるっきり、俺達のことはアウト・オブ・眼中、といった感じで。
だけどだからと言って、周りに座りだしてしまった俺達を邪魔に感じているようでもなく、自然な態度で座っていてくれた。


※※※※※※※※※※


そこにいる事を承知しつつ関わらない、その在り方はその時の俺達にはとても有り難く、ある意味そこは・・・。


「・・・あれ、絶対避難所扱いだったよな」
当時を思い出して何となく口にした言葉は、その時も気付いていたはずなのに認識出来なかった事実。
そして俺と同じ心境らしい阿倍は、小さく笑って頷く。
「だな。でもさ、小学生であれだけの存在感って言うか、無言の威圧感って言うか、そういうのがあるの、黒河くらいだったもんな」
「まーな。アイツの近くだと何となく、馬鹿話はしちゃいけません、って札でも立ってそうな感じだったし」
「感じ、じゃなくて絶対立ってたって。むしろそう書かれたバリケードがあった」
きっぱりとした阿倍の断言に、思わず笑ってしまったのはその通りだと思ったから。
クラスの中の・・・いや、集団の中の特殊な存在というのはあって、黒河はそれに当て嵌まるヤツだったのだ。
嫌われているわけじゃないけど、頼られているけど、それでも。
「しっかし今思えば俺達もよく黒河のこと防波堤代わりにしてたよな。別に凄い仲良かったわけでもないのにさ」
小学校時代のクラスメイトの姿を思い出しつつ、ふと抱いた感想。
ある種、厚かましいと言える自分達の行動に、確かに、と言わんばかりに深く頷いたのは当然阿倍で。
「でもさ、つまりそれだけ切羽詰ってたって言うか、ギリギリだったって言うか、余裕がなかったって言うか・・・そういう事なんじゃないの?特に圭、お前の方」
「俺?お前もだろ」
同意しながらもさり気無く聞き捨てならない一言を口にした阿倍に、しっかり一言反論して。
二人、顔を見合わせて暫し続いた睨み合いは、本気には程遠く。
だからこそ噴出したのも同時で、そして・・・。


再び思い出の日々に戻ったのも、同時だった。