long2-3

結局その日、もう一度私が紙飛行機を手に取ることはなくて、前日までよりずっと近くで飛ばされる飛行機を見つめているばかりだった。次の日も、その次の日も同じ。でも土手の上から見下ろす日々は終わりを告げていて、塾が終わってから訪れる土手、既に飛んでいる飛行機を追うように、土手を降りる日々が始まった。
飛行機を飛ばすコジマ君から一人分の距離を空けて置いた鞄の上に座り、どこまでも飛んでいく飛行機を溜息を堪えて見てた。ただ、見てた。
幾つも飛んでいく飛行機、でも見つめているうちに、それに気づく。
飛ばす前に折ってある飛行機、その全てを飛ばし終わってしまったらしいコジマ君が、まだ時間があるからと新たに飛行機を折り始めた時だった。鞄を漁って、中に入っているものを選別しているのがはっきり分かる仕種の後、取り出された一枚の用紙。何かが書き込まれているらしいそれを置いてある鞄の上であの飛行機に変えていく。
その最中、偶々目にした紙に書いてあった数字。赤いそれは、他の文字より数倍目立っていた。だから、聞かずにはいられなくて。
「ねぇ、コジマ君、それ・・・もしかして、今日返ってきたテストの答案?」
「あ、うん。そう。」
見えた赤い数字は満点意味するもので、返却があった時、確か先生が満点だったのはコジマ君だけだと言っていた気がした。つまり、とても貴重な、凄いモノ。それをコジマ君は飛行機にしてしまったのだ。しかも、態々選んで。
不思議に思ったのは、その選ぶという行為をしていたこと。偶々手に取ってとかならまだ分かるけど、どうして選んだ物がそれなのか?
でも抱いた疑問は口に出さなかった。何故なら口に出すより早く、当のコジマ君が自ら私の疑問の答えをくれたから。あっさりと、なんでもないみたいに。手元を、折り続けている紙だけを見つめて。
「なんとなくだけど・・・うん、なんか、百点のヤツだと、よく飛ぶような気がするんだ」
言葉と同時に折り終わって、出来を確かめるように飛行機を翳す。翳した百点のテスト用紙で作られた飛行機は、日の光を浴びて光っていた。自身の点数を誇るように。
他には誰も取れなかった満点。紙飛行機に変わって、今から二度とコジマ君の元には戻ってこないだろう、どこかに旅立つそれ。
せっかくの、クラスでたった一人の偉業を空に、川に向かって手放してしまうコジマ君、考えようによっては嫌味に感じてもおかしくない。だってきっと、いつもテストは百点で、だからいつものようにそれを飛ばしているのだろうから。
でも笑ってしまった、私は。だって嫌味よりも清々しいと感じたから。凄く良い、画期的なことをしているように感じたから。きっと喜んでいる。百点のテスト用紙も。点数だけ書かれた紙切れで人生を終えるより、自由な空に飛び立つことが出来る方が嬉しいし楽しいし、誇らしいに決まっているから。嬉しがっている、だからどこまでも飛んでくれる。
笑った私。そんな私を見て、コジマ君も笑った。楽しそうに、嬉しそうに笑った。誇らしそうに、笑った。
そして笑いながら、生まれたばかりの飛行機を翳し、風を待って・・・ゆっくりと、訪れた風に誇らしい飛行機を乗せる。
多分、初めてだった。飛行機が生まれる姿から、飛び立つ姿まで見たのは。だからその所為だったのかもしれない。もう幾度となく見ているはずなのに、私はその時、また初めて気付くことがあった。飛行機を風に乗せた、その瞬間。

コジマ君の口が微かに開いて。

声は、聞こえなかった。でも確かに、開いた口が何かを象るように動いていた。空気中に溶けて、全然形にならないで。口の動きだけで何を言っているか分かる人もいるらしいけど、当然、私には分からなくて、でもコジマ君に聞くことは出来なかった。
どうしてかなんて、それこそ分からないけど。
でも理由が分からなくても、従うことはあるのだ。問いかけてはいけない気が、していた。誰かに囁くように動く唇の動きも、優しく飛行機を送り出す手の動きも、飛び立って行く先をいまだに見届けられない飛行機の動きも、全部、何故と口にしてはいけないと、そんな気がして。
輝く瞳、明るい表情、隣に他の人間がいることすら忘れたようにじっと先を見つめる横顔を、見つめる。こんなに他人の横顔を見つめることなんて他にないくらいに、じっとじっと、見つめ続けた。
問いかけるのは赦されなくても、見つめることくらいは赦される気がしていたから。

**********

よく考えたら、正面から顔を見た覚えってあんまりないんだよね。いつも横顔ばっかり。思い出の中のコジマ君って。
・・・そんなの、大抵そうだろ。
は?
片思いって、そういうものってこと。横顔ばっかり見てるもんなんだよ。・・・俺だってそうだった。
え?それってさっきからちらちら出てるヤツ?ねぇ、それって・・・。
だって、席、隣だっただろ。だから必然的に横顔ばっかり見る羽目になるし。
・・・え?席隣って・・・うっそ!マジで?ねぇ!
いいから先を話せっての!

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何かを、得している気分。それは教室内でも続いていた。特に、コジマ君の横顔を教室内で見かける時、強く感じた。だってそういう時のコジマ君は、土手で見つめる横顔と全然違う顔をしていたから。成績が良いだけの優等生、暗く、真面目なだけの。
明るさや自由さなんて欠片も感じられない、黒板を見るかノートを見るかだけの横顔。飛行機を飛ばしている姿なんて欠片も想像出来ないような姿。ギャップが激しすぎたからか、それとも自分だけがあの飛行機を知っているという優越感からか、気がついたら私は、教室にいるコジマ君も凝視するようになっていた。
顔を僅かに横に、斜め方向に向けて、コジマ君の顔を窺う。そんな、微妙な日々。
でもどれだけ見つめても、教室内でコジマ君と話をしたりはしなかった。教室のコジマ君は話し掛けにくかったし、何より、周りの目が気になった。どうして気になったは気にしたくなかったから、気づかない振りをして。それでいて教室内に私が知っているコジマ君がいない、その事実に、不思議なほど安堵しているのを知っていた。
・・・今、思えば、馬鹿みたいな確認。
あんな確認、している人間だから、飛行機なんて飛ばせなかったんだ。飛ばせる、わけなんてなかった。今なら気づけるその事実に、当時は気づけなくって。代わりに私が自分に課した新たな動作、それが私自身に新しい変化を齎す。
身体の向きを、顔の向きを、視線を、僅かに横にずらす、その仕種。方向的に、視線がよく合ったのだ。名前の並び、前後に配置された席。すぐ近くにいながら、今まで殆ど話したことがない、コジマ君じゃないコジマ君。コジマシュンスケ君。クラスの人気者。
誰もが関わろうとしていた男の子、でも私は、なるべく関わらないようにしていた。視線を合わせないように、会話をしないで済むように、休憩時間ごとにシュンスケ君を囲む沢山のクラスメイトに混ざらないようにしていた。
だって、怖かったから。
お調子者みたく騒ぐ男の子は、デリカシーなんて単語知らないに決まっているし、そのデリカシーのなさと周囲からの人気で、自分が気に入らない人間をクラスの弾き者にしてしまう力があって、その力を躊躇なく使いそうで。
人気って、人を支配する力。
だからその力があるシュンスケ君は怖くて、何か気に障ることをしたら最後、苛めにあってしまうんじゃないかと思って。なるべく関わらないように、視界に入らないようにって、そればかりを気をつけていた。
・・・はず、なのに。
何が原因だったのか、全く覚えてない。たった一つ確かなのは、私が今までと違ってそちらの方向によく顔を向けるようになって、だから視線が合うようになったということだけ。それだけは確実で、それ以外は何も確実じゃなくて。
でも偶々目が合って、逸らすのも不自然で、酷くぎこちない一瞬が訪れたのだけは不思議なほどはっきり覚えている。分かり易い形じゃない、液体や気体に身体が馴染むように。
きっとその沈黙に耐え切れなくて、何か、当たり障りのないどうでもいいことを口にしたのだ。私から?うぅん、違う、それは間違いなく、間違いようもなく、シュンスケ君からの言葉。「たりぃーな」とか「ねみぃーな」とか、そんなどうでもいい言葉。
口調まで思い出せそうなそれが、きっかけだったに違いない。
私に訪れた変化。今まで忌避していた男の子と、人気者のシュンスケ君と、私は偶に話をするようになった。今までどうして口を利かない日々が続いていたのかと不思議に思うほど、呆気なく。きっかけなんて、そんなもの。

**********

・・・そういえば、急に話すようになったよな。全然、話したことなかったのに。
よく覚えてるね。なんで?なんで?
・・・答え知ってるくせに、聞いてくるなよ。
えー?そんなの、知らないよぉ。
嘘つけ!目が笑ってるぞ!
そーんなこと、ないってぇ!ね、なんで?なんで?
・・・ずっと気になってたんだよ!覚えてるに決まってるだろ!
わぁお!分かっててもきちんと言ってもらえるのって、やっぱり気分が違うよねー。
やっぱり分かってたのかよ!
分からないわけないじゃん。今の話の流れでさ。
・・・もういいから先、話せ!

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拍子抜けした。それがシュンスケ君と話していて一番最初に抱いた、一番強い感想だった。だって、他愛無い話を偶に交わすシュンスケ君は・・・普通の、子だった。悪の大魔王でも、クラスを牛耳る帝王でもなくて、明るいだけの、普通の子。何かの拍子に人気者という地位についてしまった、みたいな。
でも普通っていう単語に希望を持っている私にしてみれば、それは凄く好ましいことだった。同じだけ意外で好ましかったのは、シュンスケ君が全く何も考えてない、馬鹿で無神経な男の子じゃなかったっていうこと。
繊細、とかじゃない。でも他人の感情とかを少しは気にしていて、本当に言ったら拙い言葉を分かっている子だった。そんな当たり前の言葉すら分からず、平気で口にするとばかり思っていたのに、大きな間違いで。
どうして間違った認識をしていたのだろうと、不思議に思う。知らない間に誰かに暗示でも掛けられたのだろうか?でも、誰に?
幾つもの意外と、不思議。それを抱えながらも、シュンスケ君との会話は平和的に続いた。他の男の子とか、女子とかがシュンスケ君を囲まない、平和な時間にだけ。話さなくても世界が終わるわけじゃない、そんな会話。「宿題やった?」「テスト何点だった?」「雨止まないかな」他にも、色々。
振り返ると覚えていられない会話ばかり。内容なんて、あってないようなもの。それなのに覚えているのは、不思議なほど鮮やかな印象。漠然としているのに酷く鮮やかな、それ。
女子とは違う、という当たり前の事実が、目が覚めるような、世紀の大発見みたいに。
あの日、コジマ君を見つけた時を思い出させる印象。
上手く、説明は出来ないと思う。でも強いて言うなら、粘着性が低い、良くも悪くも一瞬だけの鮮やかさが女子とは違うと思った。ガサツで無神経だと信じていた面は、裏表のない、突き抜けるような空の高さに似て。
全然似てない二人。でも同じ『コジマ』という苗字を持つ男の子達、両方に私はその時、感じていた。

羨望、と呼ばれる感情。届かない空に対する負け惜しみ。

そっと離す飛行機は、相変わらず自由に飛べなかった。風に嫌われたように、空に忌避されたみたいに、私を拒絶。地面に落ちる以外の選択を知らないと言いたげに、たった数秒浮いただけで落ちる。
無様で哀れなその様を見て、困ったと言わんばかりの顔で苦笑を浮かべる、コジマ君の横、私はコジマ君より更に困った顔で立ち尽くす。落ちた飛行機も、拾えずに。
もう何日目だったか、覚えていない。でも「もう一回、飛ばしてみる?」と誘ってくれたコジマ君に、何度も見ているからという根拠になるのかならないのか微妙な理由を自分で自分に訴え、そっと差し出された飛行機を、もっと丁寧に受け取って。
目に焼きついている光景、耳に届く忠告。脳内で何度も再生して行った二度目のチャレンジは、見事なくらい失敗してもう言葉もなかった。ついでに言うと、恥ずかしくて顔も上げられなかった。何でこんなに激しく失敗するかなって思いで一杯で。
でもそこは流石コジマ君。私の筆舌し難い羞恥を察してくれて、急いで落ちた飛行機を回収すると「風が良くなかったかも!もうちょっと良い風が吹けば・・・」と、絶対に罪のない風に急いで罪を被せてくれる。ありがとう、コジマ君。ゴメン、風。
気恥ずかしさを誤魔化す為にもそんな言葉を口の中でもごもごと繰り返して、コジマ君が私が墜落させた飛行機、その曲がってしまった先端を少しずつ直す様を見つめていた。丁寧に、優しく直す、その仕種。男の子はガサツ、そんな先入観がいまだに抜け切らないので、優しい仕種は不思議に思えた。
でも些細な仕種を不思議に思っている私の感情なんて知らないコジマ君は、潰れた過去を拭い去った飛行機をそっと構えた。一度は地面についた飛行機、本来の場所に戻す為に。
飛ばすまでは、私のイメージしている『男の子』とは凄く違っていて。
だけどそっと飛行機を風に放す瞬間、すぐ隣にいるコジマ君は・・・。
イメージよりずっと鮮明な、私の中の『男の子』そのものになる。
どこまでも、どこまでも遠くに飛行機を飛ばす、その姿。風に軽やかに乗って、行き先なんて決めずに、ただ遠く、遠く。その遠くだけを見つめて、瞳を輝かす、楽しげに、すぐ傍でそれを羨んで見つめているだけの存在なんて知りもせずに。
誰にも縛られずに自分の意志だけに従って生きていられる、飛んでいられる、そんなイメージが『男の子』にはある。多分、集団で生きて、集団からはみ出ることを畏れて、結局は集団に埋もれて縛られて生きていくことしか出来ない、私達女子と対になるイメージ。
集団で固まって、仲間面をしながら本当はその中から生贄を、弾き出せる標的を探している。陰湿な、本質。独りでいる強さがないのに、集団で生きていく思いやりもなくて。
・・・本当は、大っ嫌いな『女子』の姿。
自分が女子だからよく知っているそれは汚くて、だからよく知らない『男の子』が綺麗に見えるだけかもしれないけど。でも女子にそういう汚い部分があるのは事実で、私はそういう汚さが嫌いで、だから、本当は。

集団で生きていく思いやりや優しさを持てないのなら、独りで在れる強さが欲しくて。

だから、かもしれない。たった独りでそこに在る、コジマ君をずっと見ていたのは。見ていたいと思ったのは。見ていられたらと願っていたのは。
願い、たかったのは。
でも本当は・・・飛んで、みたかった。

**********

でもさ、あんまり他の女子とつるんでる姿、教室で見たことないけど?
え?そう?
うん。ほら、よく席の近くに女子も沢山来てただろ?でもさ、一人だけ混じらなかったじゃん、輪の中に。だから・・・逆に俺からしたら凄い目についたし、気になった。初めは友達いないのかなって思ったけど、そういうわけじゃないっぽかったし。一人でさ、こう・・・背筋伸ばして、窓の外見てて。他の騒がしい女子とは違うって、なんか、だから、気になった。・・・話し、掛けてみようかなって思ってた。
・・・うそ、そうなの?知らなかった。それ、さっきも言ったけど、ただ集団から浮き出たくなっただけだよ。あとは、クラスの人気者に興味なかっただけだし。でもそっか、外から見るとそう見えるんだ。分からないものだね、他人の視線なんて。
かもな。でもじゃあ、それが初恋の瞬間?
じゃ、ないと思う。
・・・なぁ、だったら本当にいつなんだよ?どこまで話したら肝心の部分になるんだ?
うん?・・・あのね、覚えてる?教室でさ、好きな人は誰とか、好きなタイプはとか、そういう話を女子の集団、私含めた集団で話してた時のこと。
そんなの、女子はほぼ毎日してるじゃん。
まぁ、そうなんだけど、えっと、あのさ、あの時の・・・。
でも、覚えてると思う。今、言いたがってるその時のことは。大体予想がつくもんな。多分、あの時だろうなって。
・・・それ、合ってるよ、絶対。