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その頃、クラスは幾つかのグループに分かれていた。
女子同士の間では当然の流れで、一番初めにほんの2、3人の親しいグループが出来て、そのグループの内、幾つか気が合ったグループ同士がくっ付き合い、クラス全体で大雑把に5、6のグループが出来ていたのだ。
当然、私達三人も他のグループとくっ付いて、少しだけ大きなグループになり、でもその中でも大体話すのは初めの三人という形に収まっていて、ただその私が所属するそのグループの中に、あの二人の姿はなかった。
二人は、別のグループとくっ付いていたから。
それなりに大所帯になった互いのグループの中で、私達も、彼女達も、そこそこ上手くやっていた。
少なくとも、私にはそう見えた。
ただ、偶に窺う彼女達は、大所帯になっても際立って近い、接触したままの関係を維持していて、近しい他者が出来ても尚その状態を保つその姿に、安堵の吐息を洩らしそうな、目を閉じて溜息を洩らしそうな気持ちを抱いていた。

まるで、何者かになったような大らかな気分で。
きっと、高見から見下ろす傲慢な神様の気分で。


だけど、そんな幾度目かの昼休みに、それは起きた。


同じ教室内とはいえ、別グループの騒ぎだ。
騒いでいれば勿論、横目で窺うくらいはしても、普通はその話題に首を突っ込んだりはしない。
女子同士には、グループが違えば基本的に不可侵という暗黙の了解があるのだから。
・・・ただ、その時の騒ぎは内容が内容だったのだ。
たとえグループが違っても、首を突っ込みたくなるようなもの。
突っ込んでも、許される類のもの。
だから教室内に響き渡るその声が聞こえた時、その場にいた女子は一斉にその声の方向へ目を向け、次いで話の当事者に視線を集中させたのだ。


「これっ、彼氏の写真じゃねーのっ?ねぇっ、桃子!」


反応したのは『彼氏』というたった一つの単語だ。
この年代で最も過敏に反応する単語の一つと言っても過言ではない単語だったから。
でも私が反応したのはその単語だけじゃなかった。
もう一つ、過剰に反応したのは『桃子』という人名で。
視線を皆と同じ方向に向ける最中、真っ先に思ったのは『あぁ、やっぱりあの二人は特別な距離だったんだ』という、納得だった。
だって私が知る彼女は・・・西方仁美は、荒井桃子の事を。

『桃ちゃん』と呼んでいたはずだから。

呼び方なんて、渾名なんて、ただ呼ぶだけのものかもしれないけど。
でも、人と人の関係は、相手を呼ぶことから始まるものだから。
だから・・・それはきっと、重要な違い。
それをその瞬間、奇妙な強さで実感しながら向けた視線の先では、あまり親しくないクラスの女子の一人が携帯を高く掲げた片手に持って、教室の一角を走り回り、その女子を半ば必死の形相で慌てて追いかけている荒井桃子の姿あった。
見えた光景に、誰に説明されずとも大体の事情は分かる。
おそらくあの携帯は荒井桃子のもので、必死な様子からして、携帯に入っていたという写真は推測通り、彼氏の写真だったのだろう。
何かの拍子にバレたのだろうそれを取り上げられ、今、必死で取り戻そうとしている、という状況。
分かりやすいその状況を察する事が出来ない人間なんて、教室内に一人もいなかったらしい。
そしてこういう場合はグループの垣根が取れるらしく、次々と立ち上がる、各グループ内の野次馬根性丸出しの数名の女子が騒ぎの元へ群がり、携帯は手から手へと渡って。
騒ぎが絶頂を極めた頃、誰かがまた大声を上げる。
「これ、ウチの生徒会長じゃないの?」と。
聞こえた声に、被さるように上がる歓声。
それに肯定の声が更に被さって、騒ぎに混じっていない人間も遠巻きに興味津々でその騒ぎの中心を見守る中・・・多分その時、私だけが途中から全く別の場所を注視していた。
荒井桃子が所属するグループのメンバーのほぼ全員が浮き足立ち、その内大半は実際に席から立ち上がって騒ぐ中、たった一人だけ微動だにせずいつもの席に座ったまま、騒ぎの中心、当事者である荒井桃子に視線を注いでいる・・・。



あらゆる表情が剥がれ落ちた、綺麗な程の無表情を浮かべる西方仁美を。



・・・あれは、言葉で無理に表現するなら、蚊帳の外にされた、そんな言葉で表現する状態に陥らされたからだったのだろうと思う。
確かめた、わけじゃないけど。
でもそう判断出来るくらい、ずっと観察に等しい視線を向けていたのだから、これは間違いない。
ようやく落ち着いていく騒ぎの中、複数の人間に囲まれて集中砲火のような質問の攻撃に、観念したのか照れながら少しずつ荒井桃子が答えた言葉によって発覚する事実。

相手が本当に生徒会長である事。
知り合ったのはバイト先のスーパーだという事。
一ヶ月くらい前から正式に付き合うようになったという事。
今は『リュウ君』と『モモ』と呼び合っている事。

上がり続ける歓声、その度にまた誰かが騒いで。
いつ終るともしれない質問続きの中、ただの一つも質問を挟む事なく黙っている人が、他者がした質問に対する荒井桃子の答えの内、たった一つも知り得ていなかった、それもまた確実な事実だと、それだけがはっきりと分かっていた。

「意外だったね」
「うん。彼氏とか居なさそうだったのにさぁ」
「ってか、ウチ等は全くその気配がないような・・・」
「いやいや、まだまだだろ。これからこれから」
「まだまだがずっと続いたらどうする?」
「そういう希望のない事、言ってて楽しい?」
「自虐趣味」
「・・・何でそこだけ突っ込むわけ?」
他グループの騒ぎだが、アレだけの大騒ぎだったので暫くは誰もが同じ話題をしていて、当然の流れのようにいつもの三人組で集まった授業合い間の短い休み時間、私達に同じ話題が出ていた。
尤も、どうしても口に出さずにはいられない突っ込みを一つ入れたっきり、殆ど何も口にはしなかったけれど。
関心は、別にあったから。
始まった六時間目。
本日最後の授業の間も、その前の五時間目の間も、ずっと頭の片隅に浮いていた疑問は、あまり深刻ではないがとても気になっている疑問だった。
顔を上げて、黒板を見る振りをして窺う前の席、そこにいる疑問の対象である人の顔は勿論、見えない。
こういう場合、席が前後だと不利だなと、一体に対してだか分からない感想を浮かべながらじっと見つめる先は、全く染められていない、四月から変わらない黒いままの髪と、あの時とは違う、こげ茶の髪ゴム。
学校に少しだけ慣れた所為か、校則が緩い所為か、髪を染め出す者が多い中、目の前の髪と、セットで一緒にいる人の髪の色は変わらない。
真面目な人達なのだと、固い人達なのだと、他グループのメンバーがそう評す中、当っている部分と外れている部分がある事を知っている。
確かに真面目だけど、偶に凄い事を言っているのをこの席で聞いているから。
わりとお茶目で、乱暴なところもあって・・・でもやっぱり真面目で。
真面目な、ワンセットな、二人組みで。


──不思議、なのは。


どうして他の誰でもなく、この人に荒井桃子は何も話していなかったのだろうかという事。
同時に、他の誰でもなく、この人は荒井桃子の変化に気づかなかったのだろうかという事。
くっ付き合った囲いの中、それでもその囲いの隅々まで見る事は、気づく事は叶わないという事なのだろうか?
でもそうだったとしても、どうして話さなかったのだろう・・・と、疑問はそこに立ち返る。
くっ付いた囲いでも、入り口を開いたままの相手でも、それでも見せたくない、見せられない場所がその囲いの片隅にあるのだろうか?


・・・そうかもしれない。


胸に、何かの固まりを落とされるように、不意に納得した。
落ちたソレが胸の中を転がっていき、何処にも落ち着けずに転がり続けているのを感じる。
確かな存在感を感じるソレを意識しながら、何となく思い出す、初めにこの二人の距離に気づいた時の光景。
私には縁のない・・・いや、他の誰にも縁のない零に等しい距離の二人が寄り添う姿。
想像さえした事がなかった光景を目の当たりにした所為で、もしかしたらあまりにも過剰な期待に似た何かを抱きすぎたのかもしれない。
心当たりがなくもなく、思い至った可能性に授業中にも関わらず、顔を伏せるようにして少しだけ洩らした笑い。
多分、苦笑と呼ばれる、それ。
浮かんでいる自覚、その途端に更に浮かぶ笑みを誰にも気付かれないように一つ息を吸い込んで誤魔化して。
知らなかったけど、もしかしたら夢見がちな人間なのかも、なんて誤魔化したはずの笑いが再び込み上げそうな予感を感じて伏せていた顔を上げる。
ノートに書き写す、ただそれだけの意味しか持たない板書を見る為に。
だけど目的を果たす直前、視界の端に映った絵。
少しだけ曇って暗い外、だからこそはっきりと室内を映す、左側を占拠する大きな窓。
見えないと思っていた光景が、しっかりとそこには映っていた。
薄暗い外に視線を投げている、机に片肘を付いてその手の上に顎を乗せている人。
目が合う前に慌てて逸らして黒板へ視線を向けたから、見えたのは一瞬。
でも、だからこそ焼きつくように残るのだ。
見つけてしまった、自分の瞳の奥、そこに隠した心と呼ばれる何かに。
焼きついた、のは。



怖気が立つほど暗い、堕ちていくような黒。



──誰も、気付かない。
視線を転じた教壇では、受験以外のどこに役立つのか疑問を感じる知識を教師が呑気に語り、教室内にはそれを退屈そうに聞いているか、机の下で内職をする生徒達が並べられているだけ。
ごく普通の時間は、ごく普通の光景を垂れ流して存在する。
すぐ傍に、あんな黒があるなんて知ろうともせず。
この中で、少なくとも一人は気付きそうなものなのに。
納得したはずの、胸を転がっていた何かが身体の中から加速度をつけて転がり落ちそうだった。
もしかしたら、転がり落ちてしまった後かもしれない。
だって、胸の中はぽっかりとその分の穴が空いていたから。
手を当てなくても分かるその穴、そこに嵌るものが疑問という形をしていると気付いたのは穴が空いたのとほぼ同時。
今の今まで抱かなかった、もう一つの疑問。
先ほど抱いた疑問、どうして話さなかったのだろうというそれと、対になる疑問が在る事にようやく気付いたのだ。
気付かなかった、その事実の方こそ不思議に思うほどに。
不思議に、疑問に思う。
──疑問、なのは。




『西方仁美』




振り返ると、その時まで私は彼女達をセットで考え、捉えていたのだと思う。
二人で一つ、完璧な何かになったように、近づく事も、ましてや触れる事すら拒むような、そんな気持ち。
それなのにあの黒を見た時に、初めて片割れだけを強く意識した。
でもそのままだったら、意識しただけで終わるのだ。
だって私は変化を望まない人間なのだから。
でもあの日以降、もう一人、つまり片割れである荒井桃子は何かのスイッチが入ったかのように、目に見えて変わった。
中身がどうとかのより先に、まず見た目が。
少しだけ色を染めた髪と、不慣れな所為だろう、濃い目の化粧。
短くなったスカートに、指に嵌った金属。
物事が公になる、それはこういう急激な変化を齎すのに十分なきっかけとなる力を内包しているらしく、彼女は彼氏という存在を認める事を許容したらしい。
中身が変わったとかでは勿論ないと思う。
真面目な性格が変わっていないのは言動から感じるし、たった一人の存在で性格まで変わるほど、人間は単純な生き物じゃないから。
でもその変化と、段々と顕著に・・・私にはしっかりと感じ取れるようになったもう一つの変化、その二つの変化が、意識する、それだけで終わらせなかった。



──終わらせたくないと、どこかで思っていたという可能性も否定は出来ないけど。