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──これは、好きな花なんて聞かれても、全然思いつかなかった頃の話。


「毎年思うけど、なんで休みなのに学校来なきゃいけないんだよ」

一年で一番楽しいはずの期間なのに、一年で一番の不満を抱えてそんな呟きを洩らして歩く、通学路。
嫌がらせみたいに熱いアスファルトの上を、嫌味ったらしく熱い太陽の光が突き刺す中、渋々、嫌々、歩いて向かっていたのは、勿論、小学校だった。
独りぼっちの登校。
いつもだったら周りを同じように歩いている小学生は一人もいなくて、騒ぐ小学生の間を嫌そうな顔で歩いているスーツ姿の大人も、道を走っているジャージ姿の知らないおじさんも、パジャマみたいな格好で寝起きみたいな顔をして突っ立っている知らないおばさんも、誰も、誰もいない道路を、たった独りで。
黒いアスファルトは波打って見えるし、こめかみから汗が流れて気持が悪いし、胸に渦巻いている不満はとても、とても強くてイライラするし。
でも喋るのも億劫なのに、おまけに独りぼっちなのに、不満を呟き続けないと気が済まない、そのぐらい腹立たしかった。
道路に沿って続く塀の奥から聞こえてくる、夏休みという『休み』なのに学校に行かされている俺を笑っているような、蝉の煩い合唱が、耳の奥で鳴り響いていて頭まで痛くなってくる。

「やっぱ・・・遊ぶ時と当番じゃ、暑さが違うよな・・・あー・・・暑い・・・」

毎年、同じことの繰り返し。
種類はそれぞれ違っていたけど、同じことの繰り返し。
クラスで育てている花の、夏休みの水遣り当番。誰も花なんて育てたくないのにやらされて、『休み』になっている日にまで当番を決めて来させられる、そんな、繰り返し。
ウチの小学校の伝統なのか何なのか知らないけど、本当に毎年同じことをさせられていて、去年は朝顔だったし、きっと来年も何かやらせられるはず。
何故か絶対に一種類花を育てさせられることになっているし、夏休みの間、必ず数日は当番が当たるし、水遣り当番だけど観察記録もつけなくちゃいけないし・・・とにかく面倒で、何でやるのか納得がいかない繰り返しを、毎年毎年、今日みたいに不満を撒き散らしながらやらせられる。
子供って、どうしてこんなに不自由なんだろう?
そんな疑問と不満を垂れ流しながら歩いているうちに、ようやく近づいてきた校門が、アスファルトと同じくらい波打って見えて、その途端、自分でも意味が分からない唸り声が口から零れるのを抑えることは出来なかった。

「超熱いんですけど・・・!」

もうとっとと終わらせて、早く帰ろう・・・と、それだけを思いながら伸ばした手で開けた校門の隣、小さな黒い門は、間違って触ってしまったフライパンみたいに熱かった。触った掌から、卵を割ってフライパンに落とした時と同じ音がなりそうなくらいに、熱くて。
あまりに熱くてつい口から叫び声みたいなのが出たけど、独りぼっちの登校だから、笑ってくれる奴どころか反応してくれる奴もいなくて、なんだか凄く恥かしくなる。誰も見てないのに、誰も見ていないから恥かしい。
でも、他の学年の当番が来てるかも・・・隙間みたいに少しだけ開けた門から入りながら、ふと思いついたことを、今度は声に出さないで呟いてみる。
自分だって去年も同じように当番で来ていたんだから、他の学年でも来ている奴がいるはず、と。
入ってすぐ目の前に広がる校庭を何となく隅から隅まで見たのは、自分の思いつきに少しだけ心配になってしまったからだった。
さっきの大きな独り言みたいな、騒ぎ声。
誰も見てないから恥かしかったけど、知らない奴に見られていたらもっと恥かしいだろうから・・・誰も見ていないかどうかを確認したくて。
でも、そんな必要がないくらい、広がる校庭にも校舎の入口にも、他の生徒の姿は見えなかった。誰も、俺以外の誰も、いないみたいに。
「・・・いるよな?」
また小さな独り言が零れるのを、どこか他人事みたいに聞いている。独りぼっちでいるのを誤魔化すみたいに、聞いている。
ただ、誰もいないわけがない・・・はず、だった。そうじゃないとおかしい。他の学年の当番が何時に何人来ることになっているのかは知らないし、同じ学年でも、他のクラスの当番のことは分からないけど、少なくとも、俺の他にもう一人、ウチのクラスの当番になっている奴がいるはずで、ソイツはいないとおかしいのだ。今、いなくても、そろそろ来てないとおかしい。
まさかサボりってことはないよな?・・・ふと、嫌な可能性が頭に浮かぶのを、はっきり感じた。当番のサボリ。しかも夏休みの当番のサボリ。毎年、大量に出るサボリは、気持ちは分かるけど絶対に許せないものの一つだった。だって、サボれるなら俺だってサボりたい。でも仕方なく来てるのに、他の奴はサボるなんて、許せるわけがない。

当番、誰だったか覚えてないけど、もしサボってたらぶっ飛ばす!

毎年毎年、門を潜る度に立てる誓いを今年もしっかり立ててから、止まっていた足を動かして校庭を突っ切る。目指すは、校舎裏にある花壇。どっかの田舎みたいに沢山花とか草とか変な実とかがなっている、全部潰して遊び場にした方が絶対に良いってくらい広い場所。
校舎の前まで来て、それから広場、と俺達の中では勝手に呼んでいる校舎の裏側に抜ける、変な絵が描いてある壁が並んだ空間を抜けて、裏側へ。すぐに見える裏門から出て行ってしまいたい気持ちを渋々抑えながら、裏門の左側に広がっている花壇の間を歩いて行く。
僕達の学年の花壇は、一番奥よりちょっとだけ前の方にある。
校舎に沿うようにして並んでいる、花壇。少しだけ高めに作られたそこに並んでいる、周りの、他の学年の何かの花よりずっと大きな背丈をした花。もう、満開で、咲いたんだから水なんてやる必要があるのかとか、観察記録も要らないだろうとか、先生がいたら絶対ぶつけている文句をすぐに浮かべてしまうくらい、立派に咲いている花。花。花。
絵の具よりはっきりした黄色の、花。
目が痛くなるくらいの、黄色の花の群れ。

『ひまわり』

・・・その、前に。
俺の顔より大きなひまわりの影に、圧し掛かられるみたいにして立っていた、同じクラスの女子。たぶん、今まで殆ど口を利いたことがない、どちらかというと大人しい女子のグループにいる、同じグループの女子と区別がつかない感じの、女子。
名前も、すぐには思い出せなかった。そのぐらい、今まで何も関わったことがない奴。でも、名前は思い出せないけど、この女子がさっき来ているかどうかを心配していた、俺と一緒の当番だってことだけは思い出せて。
良かった・・・そう思ったすぐ後に、物凄く腹が立ってしまった。物凄く、滅茶苦茶、腹が立ってしまった。だって、今まで喋ったことがなくて、勿論、何か嫌なことを言ったりしたりしたこともなくて。絶対、なくて。嫌々だったけど、俺はちゃんと当番をする為に学校に来たのに、それ、なのに・・・、目を見開いて俺を見ていた女子は、その顔にはっきりと書いていたから。

『アンタ、当番やる気あったの?』っていう、俺に対して滅茶苦茶、物凄く失礼な言葉を!

・・・自慢じゃないけど、俺は当番とか宿題とか、約束とかは一応、守るタイプで、だから守らない奴に腹を立てる側だった。それなのに『当番守ることなんて出来たんだ?』みたいな感じでいる女子に、覚えのない罪を着せられた犯罪者になった気分になって、物凄く腹立たしかった。
真夏の何もかもが嫌になるような暑さの中、夏休み中なのに当番をきっちり果たしに来た時だったから、余計に・・・腹が立って仕方がなかったんだ。

「と、りあえず・・・水やりから先にやろっか?」

物凄く失礼な言葉を顔に貼りつけた女子は、すぐに自分の顔に貼ってある言葉に気づいたらしく、誤魔化すみたいにそう言った。
たぶん、俺の顔に浮かんだ物凄い怒りで、気がついたんだと思う。貼りつけていた失礼な言葉を退かした女子は、しまった、みたいな顔をしていたから。
花壇の一番奥にある水道を指差して、俺の怒りから逃げるみたいに女子は先に水道に向かって行く。俺も、まだ顔に怒りが貼りついたままだったけど、ちゃんと後を追ったのは、行かなかったら、水やりをやらなかったら、あの女子の失礼な言葉の通りになってしまうと思ったから。それだけは嫌だった。だって、ここまでちゃんと来たんだから。
追いついた水道のとこでは、置いてあった如雨露の一つに、女子が水を溜め始めていた。俺も、もう一つの如雨露に水を溜め始める。並んで水を溜めながら、俺も女子も、何も喋らない。女子は俺から逃げるみたいに視線を如雨露にばっかり向けて黙っているし、俺も腹を立てたまま黙ってる。ずっと黙っている俺達の代わりに、水だけがじょろじょろ、凄く間抜けっぽい音を立てている。
じょろじょろ、じょろじょろ。
「・・・先、水やってるね」
俺より先に水を溜め始めた女子は、当たり前だけど俺より先に如雨露が水でいっぱいになって、蛇口を止めるとすぐにそれだけ言って、花壇の方に歩き出す。全然必要なかったのに、何となく追いかけるみたいに振り返ったのは、もしかしたらまだ怒っていたからかもしれない。・・・けど、花壇に歩いていったはずの女子が、4、5歩進んだところで立ち止まって俺を見ていたその表情を見つけた途端、あったはずの怒りが、嘘みたいに、初めからなかったみたいに消えていくのが分かった。
俺が振り向いて、目がちょっとだけ合うと、すぐにまた、逃げるみたいに花壇に向かって行った女子。名前が、まだ思い出せない女子は・・・、

見間違いとかじゃなく、凄く嬉しいものを見つけたみたいな顔で、俺を見ていた。

初めての経験、というヤツだった。何が初めてって、女子にそういう風に見られたことが、初めてだった。そういう風っていうのが、上手く表現出来ないけど・・・。我ながら目立たないタイプで、ちょっと目立つ男子がいると完全に翳むタイプで、だから吃驚したし・・・、ちょっと嬉しくて。
如雨露が水でいっぱいになる頃には、女子の顔に書いてあった失礼な言葉がどうでも良くなってきてしまった。

どうでも、良くなってしまった。

・・・でも、どうしてあんな顔をされたのか、不思議には思っていた。
だから水でいっぱいになった如雨露を持って花壇まで戻って、水をやっている間、ずっとその子の様子を窺っていた。ずっと、ずっと、ずっと。

「・・・どうか、した?」
「えっ?あ・・・、こっちも、水、いるかなって思って!」
「この線よりそっちは隣のクラスの花壇だから、べつにいいんじゃない?」
「だね!」

ずっと見ていたから、当たり前だけど女子も気づいたみたいで、少しだけ戸惑いがちな声を掛けられた。
その声が、さっきも聞いたはずのその声が、なんだか初めて聞くみたいに可愛く聞こえた気がして、凄く早い動きをしていた心臓が、躓いたみたいに跳ねて、返した声も同じくらい、弾んでいた。
凄く変な声を出したって、そんな事、自分でも分かっていたから恥かしくて、変な声だったって女子に気づかれているって分かっていたから余計恥かしくて、でも少しだけ吃驚した顔をした女子が、その後、やっぱり少しだけ笑ったから・・・今までとは少しだけ違う恥かしさが込み上げてきて、すぐに顔を花壇の方に戻してしまった。
花壇で、隣にいる花と競い合うように背を伸ばし、顔を揃って太陽に向けている、黄色い花。
ひまわりは、俺達が小さく水をやっていることなんて知らない振りで、太陽ばかり見ている。
でも、時々吹く風で大きな花の部分が揺れる様が、揺れて、俺達の方へ向く様が、まるで・・・こっそりこっちを見て、何かを話しかけているように見えた。

ひまわり達、皆で、大事なことをこっそり謳っているみたいに見えた。

「・・・暑いね」
「うん。明日も暑いのかな?」
「たぶん、暑いんじゃない?」
「当番、あと二日もあるね」
「面倒臭いよね。まぁ、当番だから、仕方ないけど・・・」

丁度、適当な観察記録を書いていた時だった。
書いているのは女子の方で、俺は花壇の煉瓦の上に立って手を伸ばして、ちょっとだけひまわりの茎を掴んで花の向きを下に向けていて。
花の様子が良く分かるように女子に向けて曲げて、観察と記録の間を埋めるみたいにしていた会話に、そんなに凄い意味はなかった。
でもそれなのに、女子は俺の『仕方がない』ってところで書いていたノートから顔を上げて、俺の方をいきなり見て。
見開かれた目が、また、なんだか分からないけど嬉しそうに笑うから。
笑って、「そうだね」なんて、嬉しそうに答えるから。
「そうだね。あと二日、頑張ろうね」なんて答えるから。

「・・・うん。また、明日」

まだ観察記録を書き終わってないのに、忘れたくない大事な約束をするみたいに、もう明日の約束をしてしまっていた。
知らない間に凄く、凄く、信じられないくらい凄く暑くなってしまったらしい太陽の下で、そのまま燃えてしまいそうなくらい熱い頬っぺたを、俯いて隠しながら・・・。

どうしてこんなに熱いんだろうって、そればかりが不思議だった。

・・・次の日も、その次の日も、同じ時間にちゃんと学校に行った。
その子も、同じ時間に学校にいた。
最初の日に見せた、凄い驚いた顔はしないで、代わりに「おはよう」と声を掛けると、少しだけ嬉しそうな顔をして「おはよう」と返してくれる。
二人で当番の仕事をしている間も、時々笑ってくれる。
俺が水をやっている時とか、ひまわりの向きを見やすいように変えている時とか・・・自分の如雨露を片すついでに、その子の如雨露も片してあげた時とか。
水道のところから戻ろうとして、その子が吃驚するぐらい嬉しそうな笑顔を浮かべているのを見た時は、思わず変な声が出そうになったくらいで。
・・・でも、吃驚して、じゃなかった。
そうじゃなくて、なんだか・・・、身体が、勝手に少しだけ跳ねたからだった。
身体と、身体の中が、勝手に何度も、跳ねたからだった。

「終わったね」

笑顔のままのその子は、戻った俺に凄く、凄く嬉しそうにそう言って、でも今日でやっと当番が終わったのに、何故か上手く頷けなかった。
何かが喉に詰まったみたいに、頷けなかった。
でも、その子は俺が頷けなかったなんて事、全然気にしてなくて、嬉しそうなまま、帰ろっか、なんて凄く簡単に言うと、校門に向かって歩き出してしまう。
先に歩きだしてしまったその子の後を、当番の初めの日と同じように追いかけて、すぐ隣に並んで・・・同じぐらいの身長だってことにその時、初めて気づいて、少しだけ嫌な気持ちになる。
なんでそんな気持ちになったかなんて、全然分からないけど。

「ちゃんと、ずっと来てくれたよね」
「え?」

裏庭から抜けて、校門が近づいてくる途中、嫌な気持ちを持ったままの俺の隣で、その子が突然、小さく呟いた。まるで独り言みたいな口調で、呟いた。
あまりに突然だったから、何を言われたのかが分からなくて、俺の足は勝手に止まる。止まってしまった自分の足をすぐには動かせなくて、その子は気づかないで先に歩いて行ってしまって。
でも、2、3歩先に進んだところで、気づいてくれた。気づいて、立ち止まって、振り返ってくれた。
振り返って・・・笑って、くれた。笑って、くれた。

「絶対、来ないと思ってたんだ。去年も、その前も同じ当番の男子、来なかったから。だから男子って、こういうのは絶対にサボるんだって・・・そう思ってて・・・」

その子は、そう言いながら少しだけ俯いた。自分の爪先を見るみたいに、俯いた。
見た先で、少しだけ嫌なものを見つけたみたいな顔をして。
さっきまで、ついさっきまで笑っていたのに。笑ってくれて、いたのに。
それなのに今は笑ってなくて、殆ど逆の顔をしていて、それが、凄く、凄く嫌で。
あれ?・・・って思った時には、俺の口はさっきの俺の足みたいに、勝手なことをしていた。

「来るよっ!」

吃驚するぐらい、強い、声。
女子が、俯けていた顔を勢いよく上げる。
限界まで、目を見開いて。

「当たり前じゃん!当番なんだから・・・来るよ、絶対、来る!」

もう、終わったのに。
当番は、今日で終わったのに。
まるで明日も明後日も当番があるみたいに、俺の口は力一杯そう断言していた。
馬鹿みたいに、力一杯に。
言い終わった後、すぐに凄く、凄く恥かしくなってしまったのは、自分でも馬鹿みたいな事を馬鹿みたいに力一杯言っているなって思ったから。
でも、その子は・・・笑わなかった。笑ったり、しなかった。
代わりに、なんだかとても見覚えのある何かに似た、鮮やかで華やかな満面の笑みを浮かべて・・・、


「いいなぁ・・・、そういうの。来年の夏休みの当番も、一緒だったらいいのに」


・・・何も、返事が出来なかった。
その後どうしたのかとか、その子がどうしたのかとかは全然覚えてなくて、一緒に校門まで歩いたのかどうかすら、覚えてなくて。
気がついたら、家の近くの通学路を、ひとりで歩いていた。道がふわふわ感じられるのを、不思議に思いながら。
ただ、返事が出来なかったことと、その子の笑顔と言葉だけを覚えていた。
それだけを、覚えていた。
鮮やかで華やかすぎるあの花みたいに、花以外の、笑顔以外の他の全てが分からなくなってしまったんだ。

『一緒だったらいいのに』、

あの一言が、あの笑顔が、ずっと残っている。
俺の、中に。
もう後にしたはずの花を背負って告げられたような錯覚すら抱いて、ずっと、ずっと。
だから・・・、

──何かの呪いみたいに、何かの祝福みたいに、あれ以来、鮮やかな季節の鮮やかな花の前で、いつだって思い出す。

「気持ち悪いよね、ひまわりって」
「・・・は?」
「毎年思ってるんだけど・・・、なんか、種のところがさ、びっちり埋まってて、気持ち悪くない?じっと見てると真面目に気持ち悪いから・・・あんまり好きじゃないんだよね、ひまわりって」
「・・・はぁっ?!」
「なに?煩いんだけど・・・」
「煩いんだけどって!えっ?!マジで言ってる?それ!」
「・・・なんでそんなに驚いてんの?ひまわり、崇拝でもしてるの?」

毎年、当然のように繰り返す季節。
その度に鮮やかに開く花を前に、今年もかつての思い出を辿っていると・・・あれ以来、それが当たり前だったかのようにつるむようになったソイツは、道路にはみ出ても尚、太陽を目指して仰向く健気な花に対する、信じがたい感想を洩らしやがった。
見るのも嫌、みたいな顔で、花から目を逸らして。
初めて聞くその感想に、美しき思い出が木っ端微塵にされる光景が目の前に広がる。ガラガラと、漫画の中の出来事のように崩れ落ちていくのが見える。
・・・が、残念ながらそれが見えているのは俺だけだったようで。
怪訝そうな顔をしている彼女に、かつての思い出を引き寄せる様子はない。全く、ない。でもそのまま忘れ去れてしまうのでは、俺と、俺の中の思い出があまりに哀れだったから・・・。

「・・・崇拝はしてないけどさ、ちょっと思い出したんだよ。前、小学生の時さ、一緒の当番で夏休み、世話したじゃん。・・・覚えてない?」
「え?あー・・・、そりゃ、憶えてるよ。楽しかったもん。それに・・・嬉しかったし」

男子は絶対来ないって、決めつけてたからね・・・自分で自分を哀れみながらの俺の問い掛けに、彼女は意外なくらい満面の笑みで答えてくれた。あの時と、同じ笑み。
そしてその笑みを浮かべたまま、あの時のやり取りを語る。
浮かべているのがあまりに晴れやかな笑みだから、また、かつての花を思い出すし、今、すぐ傍で咲く花を意識してしまうけど・・・彼女にとっていれば、花は特に印象にないらしくて。
「あの時の観察記録さ・・・」続けられる話は二人の思い出で、それだけは良い思い出として残っているのが感じられて嬉しいけど、同じだけ、すっかり忘れ去られている花が、なんだかあの時の俺を忘れ去られてしまったみたいに、可哀想に思えて。

「俺だけは好きでいるからな」
「なにしてるの?」

花に顔を寄せて、寄せた自分の顔より大きな花の中心に向かってそっと励ましていると、いつの間にか少し先に行っていた彼女が、振り返って不思議そうな顔をしていた。
ちょうど、あの夏の日と同じ、位置。
あの時は同じくらいだった背を、もう大分追い越していることに、初めて気づく。夏を幾つか重ねているうちに、色んなモノが徐々に変わっていっていることを、初めて実感した。

──俺たちは、あんまり変わってないけど。

結構、仲良くはなったけどさ・・・誰にも言えない呟きが、小さく口の中だけに零れる。
少し先では、まだ追いつかない俺を待って、彼女が不思議そうな顔をして立っている。まだ『友達』の彼女が、待っている。
何も言い出さない限りは、ずっと、このまま・・・、

「どうしたの?」
「・・・名残を惜しんでた。ひまわりの」
「そんなに好きだったの?」
「・・・わりと、それなりに、結構、かなり」
「つまりどれなの?それ」

追いついた彼女に、不思議そうな顔のまま尋ねられて・・・色々な感情を込めながら答えれば、当然のように意味が分からなかったらしい彼女は、おかしそうに笑って問いを重ねてくる。
それにやっぱり当然のように答えられない俺は、曖昧な返事だけを口にして、また彼女と並んで歩き出す。進む道の隣には、太陽に似た花が併走するように続いていて、降り注ぐ太陽を、その熱を、歓喜と共に甘受する。
仰向いて、太陽だけを見つめて、他の全てを知らぬ気に、ただ鮮やかに咲き誇る。
・・・けれど、ふいに流れてきた、暑さを煽るような風に一斉に揺れる様は、かつてと違って、どこか嗤いさざめく様に似ていて。

もたもたして、何度も夏を越えるだけの俺を、馬鹿にして嗤っているように見えて。

「ねぇ、本屋寄っていかない?」
「・・・うん、いいよ」

ただの、妄想。しかも、被害妄想。
でも、夏に君臨する黄金の花の力はあまりにも強烈で、浮かぶ妄想を振り払えない。彼らはあまりに、あまりに強すぎて。だけど、今日に続いているのはあの花のおかげでもあって・・・だからもたもたしている俺の背を押してくれるものがあるとするなら、やっぱり彼らしかいない気もして。
嗤い続ける花と、笑って話しかけてくる彼女を横目に、小さな溜息を吐きながら、来年の夏を思う。今年は、どうも嗤われるだけみたいだから・・・、来年、もしあの花が、今度はあの時のように、大切なことを俺に向かってこっそり謳ってくれるなら・・・、


同じ高校に行かない?・・・くらい、言ってみようと思う。